れ いわ いち ねん。 賀来賢人、岡田将生、柄本時生、落合モトキが劇団年一(ねんいち)を結成 加藤拓也脚本・演出で第一回目の配信公演も決定

市川市|いちめーる 2019ねん 9がつ 13にち

れ いわ いち ねん

リヨたちがウチの会社の新色試したいって言ってたから持ってきた」 「へー、高いの?」 「遼ちゃん何言ってんの! 149• 」 「だからさっ、俺は無性に矛盾を感じるわけだよ!」 「でも一応相手は本気だったわけじゃん」 「そーそー。 一階ではのカ、では博覧会が開催されており「いし」や「号」のが展示されている。 297• 285• またではに関するが追加された。 」 「あ、ごめん今新色試してるの。 別に金持ち育ちなわけではないのだが、二万円を安いと判断したり、よくわからない子。 日本の公を五十音順に掲げた。 は、それまで使ってきた技だけでは倒しきれない、相性の大切さを教えさせられるであり、序盤のとしても優秀。

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市川市|いちめーる 2019ねん 9がつ 13にち

れ いわ いち ねん

116• 503• 施設 ニビジム さんに ちょうせん なんて こうねん はやいんだよ! こうねんは…… …… じかん じゃない! …… …… きょり だ! のが集まる、的には最初に挑戦することになる。 ・・・・・・・あーーーー。 142• もし処女だったとしたらそりゃあ自分のハジメテの人に惚れ込んじゃうのはしゃーないって思わない?」 「えー・・・」 「女のコはね、優しくされるとメロメロになる物なの! 関連動画 関連静画 関連項目• 」 「え?ああ、じゃあ戻しましょうか。 駐車場 無 近隣にコインパーキングあり 空間・設備 オシャレな空間、落ち着いた空間、席が広い、カウンター席あり、座敷あり、掘りごたつあり 携帯電話 docomo、au、SoftBank、Y! いしの展示の横には「」と史実のことを話すもいる。 145• (漢字は違えど名前が氷帝の宍戸と同じなために、手塚から軽い愛を頂いている子。 ロケーション 景色がきれい、夜景が見える、隠れ家レストラン お子様連れ お子様とご来店の際は事前にご相談くださいませ。

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いわ志 本店

れ いわ いち ねん

本名、獅子戸遼。 修学旅行のバスや新幹線の中では必ず手塚の席に座り、手塚がおねむになった時にすばやく枕になってあげるお人。 つぎの さいとで かうことができます。 公式アカウント このHTMLタグをブログに貼り付けると、お店の地図や情報を掲載することができます。 また『旧唐書 くとうじょ 』の「掌天文暦数」によるともいう 〔勘申者〕菅原淳高(刑部卿 ぎょうぶきょう )、藤原家光(権中納言 ごんちゅうなごん )、菅原為長(大蔵卿 おおくらきょう ・式部大輔 たいふ ) 〔当代の主要事件〕元年『新勅撰 しんちょくせん 和歌集』成る 文禄 ぶんろく 〔相当西暦年〕1592~1596(安土桃山時代) 〔天皇〕後陽成 ごようぜい 〔改元理由〕即位による 〔改元年月日〕天正 てんしょう 20年(1592)12月8日文禄と改元、文禄5年(1596)10月27日慶長 けいちょう と改む 〔出典〕『杜氏 とし 通典』職官・禄秩 ろくちつ の注「凡京文武官、毎歳給禄」による 〔勘申者〕菅原盛長(権中納言 ごんちゅうなごん ) 〔当代の主要事件〕2年豊臣秀頼 とよとみひでより 生まる、小笠原 おがさわら 諸島発見 3年秀吉、キリスト教徒を長崎に処刑、文禄検地条目 5年秀吉明 みん 使の表文の無礼を憤り再征を議す 平治 へいじ 〔相当西暦年〕1159~1160(平安時代) 〔天皇〕二条 にじょう 〔改元理由〕即位による 〔改元年月日〕保元 ほうげん 4年(1159)4月20日平治と改元、平治2年(1160)1月10日永暦 えいりゃく と改む 〔出典〕『史記』巻2夏本紀の「天下於是大平治」による 〔勘申者〕藤原俊経(治部権少輔 じぶごんのしょう ・文章博士 もんじょうはかせ ) 〔当代の主要事件〕元年平治の乱起こる 平成 へいせい 〔相当西暦年〕1989~2019(平成時代) 〔天皇〕明仁 あきひと 〔改元理由〕昭和天皇の崩御、明仁親王の践祚 せんそ による 〔改元年月日〕昭和64年(1989)1月7日改元を公布、翌8日施行 〔出典〕『史記』五帝本紀の「内平外成」、『書経』大禹謨 たいうぼ の「地平天成」による 〔勘申者〕不明 〔当代の主要事件〕元年消費税導入 7年阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件 10年長野オリンピック 23年東日本大震災 保安 ほうあん 〔相当西暦年〕1120~1124(平安時代) 〔天皇〕鳥羽 とば 、崇徳 すとく 〔改元理由〕天変、厄運による 〔改元年月日〕元永 げんえい 3年(1120)4月10日保安と改元、保安5年(1124)4月3日天治 てんじ と改む 〔出典〕不明、『旧唐書 くとうじょ 』巻30音楽志に「含育九区保安万国」とある 〔勘申者〕菅原在良(式部大輔 たいふ ) 〔当代の主要事件〕元年興福寺僧徒強訴 ごうそ 2年藤原忠通 ただみち 関白となる 4年藤原忠通摂政 せっしょう 、平忠盛 ただもり ら延暦 えんりゃく 寺僧徒の入京を退ける 宝永 ほうえい 〔相当西暦年〕1704~1711(江戸時代) 〔天皇〕東山 ひがしやま 、中御門 なかみかど 〔改元理由〕関東の大地震による 〔改元年月日〕元禄 げんろく 17年(1704)3月13日宝永と改元、宝永8年(1711)4月25日正徳 しょうとく と改む 〔出典〕『旧唐書 くとうじょ 』巻30音楽志の「宝祚惟永、暉光日新」による 〔勘申者〕菅原為範(侍従 じじゅう ) 〔当代の主要事件〕元年時事謡曲狂歌禁止 4年富士山噴火 6年生類憐 しょうるいあわれ みの令廃止、徳川家宣 いえのぶ 将軍となる、新井白石 あらいはくせき 登用 保延 ほうえん 〔相当西暦年〕1135~1141(平安時代) 〔天皇〕崇徳 すとく 〔改元理由〕飢饉 ききん 、疫疾、洪水による 〔改元年月日〕長承 ちょうしょう 4年(1135)4月27日保延と改元、保延7年(1141)7月10日永治 えいじ と改む 〔出典〕『文選 もんぜん 』巻3魯霊光殿賦の「永安寧以祉福、長与大漢而久存、実至尊之所御、保延寿而宜子孫」による 〔勘申者〕藤原顕業(文章博士 もんじょうはかせ ) 〔当代の主要事件〕元年海賊追討使平忠盛 ただもり が首領を捕らえる 2年初めて春日 かすが 若宮祭行われる 5年興福寺で僧徒と別当争う 宝亀 ほうき 〔相当西暦年〕770~780(奈良時代) 〔天皇〕光仁 こうにん 〔改元理由〕肥後国より白亀が献上された瑞祥 ずいしょう による 〔改元年月日〕神護景雲 じんごけいうん 4年(770)10月1日宝亀と改元、宝亀12年(781)1月1日天応 てんおう と改む 〔出典〕不明、『礼記 らいき 』楽記に「青黒緑者、天子之宝亀也」とある 〔勘申者〕不明 〔当代の主要事件〕3年皇后井上 いのえ 内親王と皇太子他戸 おさべ 親王を廃す 5年蝦夷 えみし 征討 7年蝦夷反乱 11年伊治呰麻呂 いじのあざまろ の乱 保元 ほうげん 〔相当西暦年〕1156~1159(平安時代) 〔天皇〕後白河 ごしらかわ 、二条 にじょう 〔改元理由〕後白河天皇の即位による 〔改元年月日〕久寿 きゅうじゅ 3年(1156)4月27日保元と改元、保元4年(1159)4月20日平治 へいじ と改む 〔出典〕『顔氏 がんし 家訓』文章篇の「以保元吉也」による 〔勘申者〕藤原永範(式部大輔 たいふ ) 〔当代の主要事件〕元年保元の乱、記録所を復す 3年後白河院政始まる 宝治 ほうじ 〔相当西暦年〕1247~1249(鎌倉時代) 〔天皇〕後深草 ごふかくさ 〔改元理由〕即位による 〔改元年月日〕寛元 かんげん 5年(1247)2月28日宝治と改元、宝治3年(1249)3月18日建長 けんちょう と改む 〔出典〕『春秋繁露』通国身の「気之清者為精、人之清者為賢、治身者以積精為宝、治国者以積賢為道」による 〔勘申者〕藤原経範(文章博士 もんじょうはかせ ) 〔当代の主要事件〕元年宝治合戦、北条重時 しげとき 連署となる 2年幕府訴訟法を整備 宝徳 ほうとく 〔相当西暦年〕1449~1452(室町時代) 〔天皇〕後花園 ごはなぞの 〔改元理由〕水害、地震、疾疫、飢饉 ききん による 〔改元年月日〕文安 ぶんあん 6年(1449)7月28日宝徳と改元、宝徳4年(1452)7月25日享徳 きょうとく と改む 〔出典〕『旧唐書 くとうじょ 』巻23礼楽の「朕宝三徳、曰慈倹謙」による 〔勘申者〕菅原為賢(文章博士 もんじょうはかせ ) 〔当代の主要事件〕元年畠山持国 はたけやまもちくに 管領 かんれい となる 2年細川勝元 かつもと 竜安 りょうあん 寺を創建 3年奈良に徳政一揆 いっき 起こる 宝暦 ほうれき/ほうりゃく 〔相当西暦年〕1751~1764(江戸時代) 〔天皇〕桃園 ももぞの 、後桜町 ごさくらまち 〔改元理由〕変異による 〔改元年月日〕寛延 かんえん 4年(1751)10月27日宝暦と改元、宝暦14年(1764)6月2日明和 めいわ と改む 〔出典〕『貞観 じょうがん 政要』巻5論誠信の「及恭承宝暦、 奉帝図、垂拱無為、氛埃靖息」による 〔勘申者〕菅原為範(式部大輔 たいふ ) 〔当代の主要事件〕5年幕府農民一揆 いっき 鎮圧令を出す、奥羽大飢饉 ききん 6年若年寄大岡忠光を側用人 そばようにん に任命 8年宝暦事件起こる 10年徳川家治 いえはる 将軍となる 〔ま行〕 万延 まんえん 〔相当西暦年〕1860~1861(江戸時代) 〔天皇〕孝明 こうめい 〔改元理由〕江戸城火災、外患、疫疾による 〔改元年月日〕安政 あんせい 7年(1860)3月18日万延と改元、万延2年(1861)2月19日文久 ぶんきゅう と改む 〔出典〕『後漢書 ごかんじょ 』巻90馬融伝の「豊千億之子孫、歴万載而永延」による 〔勘申者〕菅原為定 〔当代の主要事件〕元年アメリカ人ヒュースケン三田 みた で斬殺される、プロシアとの通商条約調印 万治 まんじ 〔相当西暦年〕1658~1661(江戸時代) 〔天皇〕後西 ごさい 〔改元理由〕江戸大火による 〔改元年月日〕明暦 めいれき 4年(1658)7月23日万治と改元、万治4年(1661)4月25日寛文 かんぶん と改む 〔出典〕『史記』巻2夏本紀の「衆民乃定、万国為治」による 〔勘申者〕菅原豊長(文章博士 もんじょうはかせ ) 〔当代の主要事件〕元年大村純長 すみなが キリスト教徒603名を処刑、江戸に定火消 じょうびけし 役設置 2年修学院離宮完成 万寿 まんじゅ 〔相当西暦年〕1024~1028(平安時代) 〔天皇〕後一条 ごいちじょう 〔改元理由〕甲子 かっし 革令による 〔改元年月日〕治安 じあん 4年(1024)7月13日万寿と改元、万寿5年(1028)7月25日長元 ちょうげん と改む 〔出典〕『詩経』小雅・南山有台の「楽只君子、邦家之光、楽只君子、万寿無疆」による 〔勘申者〕三善為政(文章博士 もんじょうはかせ ) 〔当代の主要事件〕3年太皇太后藤原彰子 しょうし 出家し上東門院となる 5年平忠常 ただつね の乱起こる 明応 めいおう 〔相当西暦年〕1492~1501(室町時代) 〔天皇〕後土御門 ごつちみかど 、後柏原 ごかしわばら 〔改元理由〕疾疫の流行による 〔改元年月日〕延徳 えんとく 4年(1492)7月19日明応と改元、明応10年(1501)2月29日文亀 ぶんき と改む 〔出典〕『文選 もんぜん 』巻10「徳行修明、皆応受多福、保中又子孫」、『易経』大有卦 だいゆうか の「其徳剛健而文明、応乎天而時行」による 〔勘申者〕菅原在数(文章博士 もんじょうはかせ ) 〔当代の主要事件〕2年山城国一揆 やましろのくにいっき 滅びる 4年『新撰菟玖波 しんせんつくば 集』成る 明治 めいじ 〔相当西暦年〕1868~1912(明治時代) 〔天皇〕明治 〔改元理由〕即位による 〔改元年月日〕慶応 けいおう 4年(1868)9月8日明治と改元、明治45年(1912)7月30日大正 たいしょう と改む 〔出典〕『易経』説卦 せっか の「聖人南面而聴天下、嚮明而治」、『孔子家語 こうしけご 』巻5帝徳の「長聡明、治五気、設五量、撫万民、度四方」による 〔勘申者〕不明 〔当代の主要事件〕2年戊辰 ぼしん 戦争終結、版籍奉還 4年廃藩置県 22年大日本帝国憲法公布 23年第一回衆議院総選挙、第一帝国議会 27年日清 にっしん 戦争 37年日露戦争 明徳 めいとく 〔相当西暦年〕1390~1394(南北朝時代) 〔天皇〕【北朝】後小松 ごこまつ 〔改元理由〕天変、兵革による 〔改元年月日〕康応 こうおう 2年(1390)3月26日明徳と改元、明徳5年(1394)7月5日応永 おうえい と改む 〔出典〕『礼記 らいき 』大学の「大学之道、在明明徳、在親民」による 〔勘申者〕藤原資康(前権大納言 ごんだいなごん ) 〔当代の主要事件〕2年細川頼元 よりもと 管領 かんれい となる、明徳の乱 3年南北朝合体 4年斯波義将 しばよしまさ 管領となる、幕府土倉 どそう ・酒屋役を制定 明暦 めいれき/めいりゃく 〔相当西暦年〕1655~1658(江戸時代) 〔天皇〕後西 ごさい 〔改元理由〕即位による 〔改元年月日〕承応 じょうおう 4年(1655)4月13日明暦と改元、明暦4年(1658)7月23日万治 まんじ と改む 〔出典〕『漢書 かんじょ 』巻21律歴志の「箕子言、大法九章、而五紀明暦法」、「黄帝造歴、歴與暦同作」による 〔勘申者〕菅原為庸(大学頭 かみ ・式部権大輔 ごんのたいふ ) 〔当代の主要事件〕元年糸割符 いとわっぷ を廃止し相対 あいたい 貿易とする 3年江戸大火(振袖火事)、米価騰貴を禁ず 明和 めいわ 〔相当西暦年〕1764~1772(江戸時代) 〔天皇〕後桜町 ごさくらまち 、後桃園 ごももぞの 〔改元理由〕後桜町天皇の即位による 〔改元年月日〕宝暦 ほうれき 14年(1764)6月2日明和と改元、明和9年(1772)11月16日安永 あんえい と改む 〔出典〕『書経』堯典の「百姓昭明、協和万邦」、『史記』巻1五帝本紀の「百姓昭明、合和万国」による 〔勘申者〕菅原在家(右大弁) 〔当代の主要事件〕4年田沼意次 おきつぐ 側用人 そばようにん となる(田沼時代)、明和事件処断 8年前野良沢 りょうたく ら死刑囚解剖、お陰参り諸国に流行 〔や・ら・わ行〕 養老 ようろう 〔相当西暦年〕717~724(奈良時代) 〔天皇〕元正 げんしょう 〔改元理由〕美濃 みの 国の美泉の瑞祥 ずいしょう による 〔改元年月日〕霊亀 れいき 3年(717)11月17日養老と改元、養老8年(724)2月4日神亀 じんき と改む 〔出典〕不明、『礼記 らいき 』王制に「有虞氏皇而祭、深衣而養老」、同文王世子に「凡大合楽必遂養老」とある 〔勘申者〕不明 〔当代の主要事件〕2年養老律令 りつりょう の撰定 せんてい 始まる 4年隼人 はやと 反乱、行基 ぎょうき の活動を禁圧する、『日本書紀』成る 6年良田百万町歩開墾を計画 7年三世一身法を制定 養和 ようわ 〔相当西暦年〕1181~1182(平安時代) 〔天皇〕安徳 あんとく 〔改元理由〕即位による 〔改元年月日〕治承 じしょう 5年(1181)7月14日養和と改元、養和2年(1182)5月27日寿永 じゅえい と改む 〔出典〕『後漢書 ごかんじょ 』巻83逸民伝・台 たいとう の「幸得保性命、存神養和」による 〔勘申者〕藤原敦周(文章博士 もんじょうはかせ ) 〔当代の主要事件〕元年諸国大飢饉 ききん 2年平氏院宣 いんぜん により諸国荘園 しょうえん から兵粮米 ひょうろうまい 徴収 暦応 りゃくおう 〔相当西暦年〕1338~1342(南北朝時代) 〔天皇〕【北朝】光明 こうみょう 〔改元理由〕即位による 〔改元年月日〕建武 けんむ 5年(1338)8月28日暦応と改元、暦応5年(1342)4月27日康永 こうえい と改む 〔出典〕『帝王代記』の「堯時有草、夾階而生、王者以是占暦、応和而生」によるという 〔勘申者〕菅原公時(勘解由 かげゆ 長官) 〔当代の主要事件〕2年天竜寺創建、『神皇正統記 じんのうしょうとうき 』成る 3年『職原抄』成る 4年天竜寺船を元 げん に遣わす 暦仁 りゃくにん 〔相当西暦年〕1238~1239(鎌倉時代) 〔天皇〕四条 しじょう 〔改元理由〕天変による 〔改元年月日〕嘉禎 かてい 4年(1238)11月23日暦仁と改元、暦仁2年(1239)2月7日延応 えんおう と改む 〔出典〕『隋書 ずいしょ 』巻15音楽志の「皇明馭暦、仁深海県」による 〔勘申者〕藤原経範(文章博士 もんじょうはかせ ) 〔当代の主要事件〕2年幕府白河関 しらかわのせき 以東の銭貨流通を禁ず 霊亀 れいき 〔相当西暦年〕715~717(奈良時代) 〔天皇〕元正 げんしょう 〔改元理由〕即位、左京職より瑞亀 ずいき が献上された瑞祥 ずいしょう による 〔改元年月日〕和銅 わどう 8年(715)9月2日霊亀と改元、霊亀3年(717)11月17日養老 ようろう と改む 〔出典〕不明、『易経』頤卦 いか に「初九舎爾霊亀、観我朶頤」とある 〔勘申者〕不明 〔当代の主要事件〕元年郷里制採用 3年遣唐使に阿倍仲麻呂 あべのなかまろ ・吉備真備 きびのまきび ・玄 げんぼう ら随行 令和 れいわ 〔相当西暦年〕2019~ (令和時代) 〔天皇〕今上 〔改元理由〕明仁 あきひと 天皇の譲位による 〔改元年月日〕平成31年(2019)4月30日改元を公布、翌5月1日施行 〔出典〕『万葉集』万葉集巻五、梅花の歌三十二首の序文による 〔勘申者〕不明 和銅 わどう 〔相当西暦年〕708~715(奈良時代) 〔天皇〕元明 げんめい 〔改元理由〕武蔵 むさし 国より和銅が献上された瑞祥 ずいしょう による 〔改元年月日〕慶雲 きょううん 5年(708)1月11日和銅と改元、和銅8年(715)9月2日霊亀 れいき と改む 〔出典〕不明 〔勘申者〕不明 〔当代の主要事件〕元年和同開珎 わどうかいちん をつくる 3年平城京に遷都 4年豪族の山野占有を禁じ開墾を官許制とする 5年『古事記』成る 6年『風土記 ふどき 』を諸国に撰進 せんしん させる. 『・』では装工事のため閉館……のはずだったがの『』では何事ったかのように復活。

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「いち」の索引 10ページ目

れ いわ いち ねん

いちめーるについて しつもんが ある ひとは がいこくじんそうだんまどぐち(でんわ:047-712-8675)へ でんわして ください。 ・・・・説明めんどくさいので、パス。 貸切 可 禁煙・喫煙 全席禁煙 2018年4月1日ご来店より完全禁煙となります。 」 これが弊社のキャッチコピーです。 弊社も私自身は当然のこと、社員が一丸となって日々、努めております。 。 189• これをのラボに持って行くとに復元することができる。

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【ポケモンGO】プレミアカップおすすめのポケモン!最強はどれ?

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ご予約の状況によりお受けできない場合がございます。 」 「あ、ホントだ。 わからないことが あるひとは がいこくじんそうだんまどぐちへ きいてください。 脚本・演出は、先日インターネット公演『要、不急、無意味(フィクション)』を実施した、劇団た組の 加藤拓也。 116• 十年来の友人達と、ずっとなんかやりたいねと言って実現せず。 135• 203• 本名、日下部勇。

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創作かまぼこ『シーフードケーキ』かねまん本舗 オンラインショップ 福島県いわき市

れ いわ いち ねん

手塚の事は「ミツ」呼び。 本名、吉野葵。 121• 279• クゥって呼ぶな?」 「へい。 『書経』 に「延喜王受徳、天錫佩」とある 〔勘申者〕不明 〔当代の主要事件〕元年『日本三代実録』成る 2年初めて荘園 しょうえん 整理を令す 5年『古今集』成る 7年『延喜格 えんぎきゃく 』成る 13年『延喜式』編纂 へんさん 開始 14年三善清行 みよしきよゆき 「意見封事十二箇条」を上申 17年『聖徳太子伝暦 でんりゃく 』成る 延久 えんきゅう 〔相当西暦年〕1069~1074(平安時代) 〔天皇〕後三条 ごさんじょう 、白河 しらかわ 〔改元理由〕後三条天皇の即位による 〔改元年月日〕治暦 じりゃく 5年(1069)4月13日延久と改元、延久6年(1074)8月23日承保 じょうほう と改む 〔出典〕『書経』君 くんせき 注の「我以道惟安、寧王之徳謀欲延久也」による 〔勘申者〕藤原実綱(式部大輔 たいふ ) 〔当代の主要事件〕元年記録荘園 しょうえん 券契所を置く 4年延久宣旨枡 せんじます を定める 5年院蔵人所 いんのくろうどどころ を置く 延享 えんきょう 〔相当西暦年〕1744~1748(江戸時代) 〔天皇〕桜町 さくらまち 、桃園 ももぞの 〔改元理由〕甲子 かっし 革令による 〔改元年月日〕寛保 かんほう 4年(1744)2月21日延享と改元、延享5年(1748)7月12日寛延 かんえん と改む 〔出典〕『芸文類聚 げいもんるいじゅう 』巻1の「聖主寿延、享祚元吉、自天之祐、莫不抃舞」による 〔勘申者〕菅原長香(文章博士 もんじょうはかせ ) 〔当代の主要事件〕元年米吟味 こめぎんみ 所設置、田畑永代売買禁令緩和 3年長崎貿易のオランダ船2隻、清 しん 船10隻に制限、加賀騒動 延慶 えんけい/えんきょう 〔相当西暦年〕1308~1311(鎌倉時代) 〔天皇〕花園 はなぞの 〔改元理由〕即位による 〔改元年月日〕徳治 とくじ 3年(1308)10月9日延慶と改元、延慶4年(1311)4月28日応長 おうちょう と改む 〔出典〕『後漢書 ごかんじょ 』巻52馬武伝の「以功名延慶于後」による 〔勘申者〕藤原俊光(前権中納言 ごんちゅうなごん ) 〔当代の主要事件〕2年『春日権現験記 かすがごんげんけんき 』成る 3年鎌倉の大火 延元 えんげん 〔相当西暦年〕1336~1340(南北朝時代) 〔天皇〕【南朝】後醍醐 ごだいご 、後村上 ごむらかみ 〔改元理由〕兵革による 〔改元年月日〕建武 けんむ 3年(1336)2月29日延元と改元、延元5年(1340)4月28日興国 こうこく と改む 〔出典〕『梁書 りょうしょ 』の「沈休文等奏言、聖徳所被、上自蒼蒼、下延元元」によるという 〔勘申者〕菅原長員(式部大輔 たいふ ) 〔当代の主要事件〕元年足利尊氏 あしかがたかうじ 幕府を開き建武式目制定 3年尊氏征夷 せいい 大将軍となる 延長 えんちょう 〔相当西暦年〕923~931(平安時代) 〔天皇〕醍醐 だいご 、朱雀 すざく 〔改元理由〕水潦 すいろう 、疾疫による 〔改元年月日〕延喜 えんぎ 23年(923)閏 うるう 4月11日延長と改元、延長9年(931)4月26日承平 じょうへい と改む 〔出典〕『文選 もんぜん 』巻1東都賦白雉 はくち 詩の「彰皇徳兮、 周成、永延長兮膺天慶」による 〔勘申者〕醍醐天皇の勅 〔当代の主要事件〕5年『延喜式』成る 6年諸国の乗田に三分法を定める 延徳 えんとく 〔相当西暦年〕1489~1492(室町時代) 〔天皇〕後土御門 ごつちみかど 〔改元理由〕天変、疫疾などによる 〔改元年月日〕長享 ちょうきょう 3年(1489)8月21日延徳と改元、延徳4年(1492)7月19日明応 めいおう と改む 〔出典〕『孟子 もうし 』の「開延道徳」によるという 〔勘申者〕菅原長直(参議) 〔当代の主要事件〕2年足利義材 あしかがよしき (義稙)征夷 せいい 大将軍となる 3年北条早雲 そううん 伊豆の堀越公方 ほりこしくぼう を滅ぼす 延文 えんぶん 〔相当西暦年〕1356~1361(南北朝時代) 〔天皇〕【北朝】後光厳 ごこうごん 〔改元理由〕兵革による 〔改元年月日〕文和 ぶんな 5年(1356)3月28日延文と改元、延文6年(1361)3月29日康安 こうあん と改む 〔出典〕『漢書 かんじょ 』巻88儒林伝の「延文学儒者以百数」による 〔勘申者〕藤原忠光(文章博士 もんじょうはかせ ) 〔当代の主要事件〕3年足利尊氏 あしかがたかうじ 没し、足利義詮 よしあきら 将軍となる 延宝 えんぽう/えんほう 〔相当西暦年〕1673~1681(江戸時代) 〔天皇〕霊元 れいげん 〔改元理由〕内裏 だいり 炎上などによる 〔改元年月日〕寛文 かんぶん 13年(1673)9月21日延宝と改元、延宝9年(1681)9月29日天和 てんな と改む 〔出典〕『隋書 ずいしょ 』巻14音楽志の「分四序、綴三光、延宝祚、渺無疆」による 〔勘申者〕菅原為庸 ためつね (権中納言 ごんちゅうなごん ) 〔当代の主要事件〕元年江戸と京都に越後 えちご 屋呉服店開く 3年伊奈忠易 ただやす 、小笠原 おがさわら 島探検 6年江戸大地震 7年越後騒動 8年徳川綱吉 つなよし 将軍となる 延暦 えんりゃく 〔相当西暦年〕782~806(平安時代) 〔天皇〕桓武 かんむ 、平城 へいぜい 〔改元理由〕桓武天皇の即位による 〔改元年月日〕天応 てんおう 2年(782)8月19日延暦と改元、延暦25年(806)5月18日大同 だいどう と改む 〔出典〕不明、『群書治要』巻26に「民詠徳政、則延期過歴」とある(歴は暦に通じる) 〔勘申者〕不明 〔当代の主要事件〕3年長岡京に遷都 7年最澄 さいちょう 延暦寺創建 13年平安京に遷都 21年胆沢 いさわ 城を築く 24年最澄帰国し天台宗を始める 応安 おうあん 〔相当西暦年〕1368~1375(南北朝時代) 〔天皇〕【北朝】後光厳 ごこうごん 、後円融 ごえんゆう 〔改元理由〕病患、天変地異による 〔改元年月日〕貞治 じょうじ 7年(1368)2月18日応安と改元、応安8年(1375)2月27日永和 えいわ と改む 〔出典〕『毛詩 もうし 正義』大雅江漢の「今四方既已平、服王国之内、幸応安定」による 〔勘申者〕菅原時親(治部卿 じぶきょう ) 〔当代の主要事件〕2年楠木正儀 くすのきまさのり 北朝に降 くだ る 4年ころ『太平記』成る 7年円覚寺焼失 応永 おうえい 〔相当西暦年〕1394~1428(室町時代) 〔天皇〕後小松 ごこまつ 、称光 しょうこう 〔改元理由〕疱瘡 ほうそう 、干魃 かんばつ などによる 〔改元年月日〕明徳 めいとく 5年(1394)7月5日応永と改元、応永35年(1428)4月27日正長 しょうちょう と改む 〔出典〕『会要』の「久応称之、永有天下」によるという 〔勘申者〕藤原重光(参議・右大弁) 〔当代の主要事件〕4年金閣寺建立 5年三管領四職 さんかんれいししき の制定まる 6年応永の乱、大内義弘 よしひろ 敗死 8年第1回遣明 けんみん 船派遣 11年勘合貿易始まる 26年応永の外寇 がいこう 、明と国交を絶つ 応長 おうちょう 〔相当西暦年〕1311~1312(鎌倉時代) 〔天皇〕花園 はなぞの 〔改元理由〕疫病の流行による 〔改元年月日〕延慶 えんけい 4年(1311)4月28日応長と改元、応長2年(1312)3月20日正和 しょうわ と改む 〔出典〕『旧唐書 くとうじょ 』巻22礼儀志の「応長暦之規、象中月之度、広綜陰陽之数、傍通寒暑之和」による 〔勘申者〕菅原在兼(勘解由 かげゆ 長官) 〔当代の主要事件〕元年興福寺衆徒が多武峯 とうのみね 僧徒と争う、北条宗宣 むねのぶ 執権となる 応徳 おうとく 〔相当西暦年〕1084~1087(平安時代) 〔天皇〕白河 しらかわ 、堀河 ほりかわ 〔改元理由〕甲子 かっし 革令による 〔改元年月日〕永保 えいほう 4年(1084)2月7日応徳と改元、応徳4年(1087)4月7日寛治 かんじ と改む 〔出典〕『白虎通 びゃっこつう 』封禅の「天下太平、符瑞所以来至者、以為王者承天順理、調和陰陽、和万物序、休気充塞、故符瑞並臻、皆応徳而至」による 〔勘申者〕藤原有綱(文章博士 もんじょうはかせ ) 〔当代の主要事件〕3年『後拾遺 ごしゅうい 和歌集』成る、白河上皇の院政始まる 応仁 おうにん 〔相当西暦年〕1467~1469(室町時代) 〔天皇〕後土御門 ごつちみかど 〔改元理由〕兵革による 〔改元年月日〕文正 ぶんしょう 2年(1467)3月5日応仁と改元、応仁3年(1469)4月28日文明 ぶんめい と改む 〔出典〕『維城典訓』の「仁之感物、物之応仁、若影随形、猶声致響」による 〔勘申者〕菅原継長(権中納言 ごんちゅうなごん ) 〔当代の主要事件〕元年応仁の乱起こる 応保 おうほう/おうほ 〔相当西暦年〕1161~1163(平安時代) 〔天皇〕二条 にじょう 〔改元理由〕疱瘡 ほうそう の流行による 〔改元年月日〕永暦 えいりゃく 2年(1161)9月4日応保と改元、応保3年(1163)3月29日長寛 ちょうかん と改む 〔出典〕『書経』康誥 こうこう の「已女惟小子、乃服惟弘王、応保殷民」による 〔勘申者〕藤原資長(参議・左大弁) 〔当代の主要事件〕2年延暦寺 えんりゃくじ 衆徒蜂起 ほうき 応和 おうわ 〔相当西暦年〕961~964(平安時代) 〔天皇〕村上 むらかみ 〔改元理由〕辛酉 しんゆう 革命、皇居火災などによる 〔改元年月日〕天徳 てんとく 5年(961)2月16日応和と改元、応和4年(964)7月10日康保 こうほう と改む 〔出典〕『晋書 しんじょ 』巻17律暦志董巴議 とうはぎ の「鳥獣万物、莫不応和」などによる 〔勘申者〕菅原文時(文章博士 もんじょうはかせ ) 〔当代の主要事件〕3年清涼殿で天台・南都の僧に論議させる(応和の宗論) 〔か行〕 嘉永 かえい 〔相当西暦年〕1848~1854(江戸時代) 〔天皇〕孝明 こうめい 〔改元理由〕不明 〔改元年月日〕弘化 こうか 5年(1848)2月28日嘉永と改元、嘉永7年(1854)11月27日安政 あんせい と改む 〔出典〕『宋書 そうじょ 』巻20楽志の「思皇享多祐、嘉楽永無央」による 〔勘申者〕菅原以長(式部権大輔 ごんのたいふ 、大学頭 かみ ) 〔当代の主要事件〕6年ペリー浦賀に来航、ロシア使節プチャーチン長崎に来航 7年日米和親条約調印 嘉応 かおう 〔相当西暦年〕1169~1171(平安時代) 〔天皇〕高倉 たかくら 〔改元理由〕即位による 〔改元年月日〕仁安 にんあん 4年(1169)4月8日嘉応と改元、嘉応3年(1171)4月21日承安 しょうあん と改む 〔出典〕『漢書 かんじょ 』巻64王褒伝の「天下殷富、数有嘉応」による 〔勘申者〕藤原資長(権中納言 ごんちゅうなごん ) 〔当代の主要事件〕元年後白河 ごしらかわ 上皇出家 2年『今鏡 いまかがみ 』成る 嘉吉 かきつ/かきち 〔相当西暦年〕1441~1444(室町時代) 〔天皇〕後花園 ごはなぞの 〔改元理由〕辛酉 しんゆう 革命による 〔改元年月日〕永享 えいきょう 13年(1441)2月17日嘉吉と改元、嘉吉4年(1444)2月5日文安 ぶんあん と改む 〔出典〕『易経』随卦 ずいか ・象上伝の「孚于嘉吉、位正中也」による 〔勘申者〕菅原益長(文章博士 もんじょうはかせ ) 〔当代の主要事件〕元年足利義教 あしかがよしのり 暗殺、嘉吉の乱起こる 2年足利義勝将軍となる 3年南朝の遺臣、神璽 しんじ ・宝剣を奪う 嘉慶 かけい/かきょう 〔相当西暦年〕1387~1389(南北朝時代) 〔天皇〕【北朝】後小松 ごこまつ 〔改元理由〕即位と疾疫の流行による 〔改元年月日〕至徳 しとく 4年(1387)8月23日嘉慶と改元、嘉慶3年(1389)2月9日康応 こうおう と改む 〔出典〕『毛詩 もうし 正義』の「将有嘉慶、禎祥先来見也」によるという 〔勘申者〕菅原秀長(前右大弁) 〔当代の主要事件〕元年足利義満 あしかがよしみつ 関東を遊覧 嘉元 かげん 〔相当西暦年〕1303~1306(鎌倉時代) 〔天皇〕後二条 ごにじょう 〔改元理由〕炎旱 えんかん 、彗星 すいせい による 〔改元年月日〕乾元 けんげん 2年(1303)8月5日嘉元と改元、嘉元4年(1306)12月14日徳治 とくじ と改む 〔出典〕『芸文類聚 げいもんるいじゅう 』巻1天部の賀老人星表「嘉占元吉、弘無量之祐、隆克昌之祚、普天同慶、率土合歓」による 〔勘申者〕菅原在嗣 ありつぐ (前参議) 〔当代の主要事件〕元年『新後撰 しんごせん 和歌集』成る 3年北条時村殺される 嘉承 かしょう/かじょう 〔相当西暦年〕1106~1108(平安時代) 〔天皇〕堀河 ほりかわ 、鳥羽 とば 〔改元理由〕彗星 すいせい による 〔改元年月日〕長治 ちょうじ 3年(1106)4月9日嘉承と改元、嘉承3年(1108)8月3日天仁 てんにん と改む 〔出典〕『漢書 かんじょ 』巻22礼楽志の「嘉承天和、伊楽厥福」による 〔勘申者〕菅原在良(文章博士 もんじょうはかせ ) 〔当代の主要事件〕元年祇園 ぎおん 神人 じにん の蜂起 ほうき 、延暦 えんりゃく 寺僧徒京中で乱行 嘉祥 かしょう/かじょう 〔相当西暦年〕848~851(平安時代) 〔天皇〕仁明 にんみょう 、文徳 もんとく 〔改元理由〕豊後 ぶんご 国から白亀が献じられた瑞祥 ずいしょう による 〔改元年月日〕承和 じょうわ 15年(848)6月13日嘉祥と改元、嘉祥4年(851)4月28日仁寿 にんじゅ と改む 〔出典〕不明、『漢書 かんじょ 』巻81匡衡 きょうこう 伝に「百姓安、陰陽和、神霊応而嘉祥見」、『文選 もんぜん 』巻1東京賦に「総集瑞命、備致嘉祥」とある 〔勘申者〕不明 〔当代の主要事件〕3年富豪の山野独占を禁止 嘉禎 かてい 〔相当西暦年〕1235~1238(鎌倉時代) 〔天皇〕四条 しじょう 〔改元理由〕天変、地震による 〔改元年月日〕文暦 ぶんりゃく 2年(1235)9月19日嘉禎と改元、嘉禎4年(1238)11月23日暦仁 りゃくにん と改む 〔出典〕『北斉書』巻4文宣紀の「蘊千祀、彰明嘉禎」による 〔勘申者〕藤原頼資(前中納言 ちゅうなごん ) 〔当代の主要事件〕2年興福寺僧徒鎮圧のため大和 やまと に守護・地頭を置く 嘉保 かほう 〔相当西暦年〕1094~1096(平安時代) 〔天皇〕堀河 ほりかわ 〔改元理由〕疱瘡 ほうそう の流行による 〔改元年月日〕寛治 かんじ 8年(1094)12月15日嘉保と改元、嘉保3年(1096)12月17日永長 えいちょう と改む 〔出典〕『史記』巻6始皇本紀の「嘉保太平」による 〔勘申者〕大江匡房(権中納言 ごんちゅうなごん ) 〔当代の主要事件〕2年北面武士を置く 嘉暦 かりゃく 〔相当西暦年〕1326~1329(鎌倉時代) 〔天皇〕後醍醐 ごだいご 〔改元理由〕疾疫の流行、地震による 〔改元年月日〕正中 しょうちゅう 3年(1326)4月26日嘉暦と改元、嘉暦4年(1329)8月29日元徳 げんとく と改む 〔出典〕『旧唐書 くとうじょ 』巻13本紀の「四序嘉辰、暦代増置」による 〔勘申者〕藤原藤範(式部大輔 たいふ ) 〔当代の主要事件〕2年蝦夷 えぞ 反乱、護良 もりよし 親王天台座主 ざす となる 嘉禄 かろく 〔相当西暦年〕1225~1227(鎌倉時代) 〔天皇〕後堀河 ごほりかわ 〔改元理由〕疾疫の流行による 〔改元年月日〕元仁 げんにん 2年(1225)4月20日嘉禄と改元、嘉禄3年(1227)12月10日安貞 あんてい と改む 〔出典〕『博物志』の「陛下 顕先帝光耀、以奉皇天嘉禄」による 〔勘申者〕菅原在高(兵部卿 ひょうぶきょう ) 〔当代の主要事件〕元年評定衆 ひょうじょうしゅう ・鎌倉番役の制を定める 2年藤原頼経 よりつね 将軍となる 寛永 かんえい 〔相当西暦年〕1624~1644(江戸時代) 〔天皇〕後水尾 ごみずのお 、明正 めいしょう 、後光明 ごこうみょう 〔改元理由〕甲子 かっし 革令による 〔改元年月日〕元和 げんな 10年(1624)2月30日寛永と改元、寛永21年(1644)12月16日正保 しょうほう と改む 〔出典〕『詩経』朱子 しゅし 注の「寛広、永長」による 〔勘申者〕菅原長維(文章博士 もんじょうはかせ ) 〔当代の主要事件〕元年イスパニア船の来航禁止 6年紫衣 しえ 事件、長崎で踏絵始まる 10年奉書船以外の渡航を禁ず(鎖国令始まる) 14年島原の乱 16年ポルトガル人の来航禁止(鎖国完了) 寛延 かんえん 〔相当西暦年〕1748~1751(江戸時代) 〔天皇〕桃園 ももぞの 〔改元理由〕即位による 〔改元年月日〕延享 えんきょう 5年(1748)7月12日寛延と改元、寛延4年(1751)10月27日宝暦 ほうれき と改む 〔出典〕『文選 もんぜん 』巻10の「開寛裕之路、以延天下之英俊也」による 〔勘申者〕菅原為範(式部大輔 たいふ ) 〔当代の主要事件〕2年定免制を全面施行 3年百姓の逃散 ちょうさん ・強訴 ごうそ を厳禁、諸国人口調査 寛喜 かんき/かんぎ 〔相当西暦年〕1229~1232(鎌倉時代) 〔天皇〕後堀河 ごほりかわ 〔改元理由〕災異、天変による 〔改元年月日〕安貞 あんてい 3年(1229)3月5日寛喜と改元、寛喜4年(1232)4月2日貞永 じょうえい と改む 〔出典〕『魏書 ぎしょ 』の「仁興温良、寛興喜楽」によるという 〔勘申者〕菅原為長(式部大輔 たいふ ) 〔当代の主要事件〕3年大飢饉 ききん 、新補地頭 しんぽじとう の所務を定める 元慶 がんぎょう 〔相当西暦年〕877~885(平安時代) 〔天皇〕陽成 ようぜい 、光孝 こうこう 〔改元理由〕陽成天皇の即位、白雉 はくち ・白鹿 はくろく 献上の瑞祥 ずいしょう による 〔改元年月日〕貞観 じょうがん 19年(877)4月16日元慶と改元、元慶9年(885)2月21日仁和 にんな と改む 〔出典〕不明、『易経』象 しょう 上伝に「元吉在上、大有慶也」、『文選 もんぜん 』巻11弁亡論に「是以其安也、則黎元与之同慶、及其危也」とある 〔勘申者〕不明 〔当代の主要事件〕2年出羽 でわ 俘囚 ふしゅう の反乱 3年『日本文徳 もんとく 天皇実録』成る 5年奨学院を創立 寛元 かんげん 〔相当西暦年〕1243~1247(鎌倉時代) 〔天皇〕後嵯峨 ごさが 、後深草 ごふかくさ 〔改元理由〕後嵯峨天皇の即位による 〔改元年月日〕仁治 にんじ 4年(1243)2月26日寛元と改元、寛元5年(1247)2月28日宝治 ほうじ と改む 〔出典〕『宋書 そうじょ 』の「舜禹之際、五教在寛、元元以平」によるという 〔勘申者〕菅原為長(式部大輔 たいふ ) 〔当代の主要事件〕元年鎌倉大仏なる 2年藤原頼嗣 よりつぐ 将軍となる 4年北条時頼 ときより 執権となる 寛弘 かんこう 〔相当西暦年〕1004~1012(平安時代) 〔天皇〕一条 いちじょう 、三条 さんじょう 〔改元理由〕天変地妖 ちよう による 〔改元年月日〕長保 ちょうほう 6年(1004)7月20日寛弘と改元、寛弘9年(1012)12月25日長和 ちょうわ と改む 〔出典〕『漢書 かんじょ 』巻9元帝紀の「寛弘尽下、出於恭倹、号令温雅、有古之風烈」による 〔勘申者〕大江匡衡(式部権大輔 ごんのたいふ ) 〔当代の主要事件〕3年興福寺衆徒強訴 ごうそ 5年尾張 おわり の郡司・百姓ら愁訴 しゅうそ 、このころ『源氏物語』成る 7年『紫式部日記』成る 寛治 かんじ 〔相当西暦年〕1087~1094(平安時代) 〔天皇〕堀河 ほりかわ 〔改元理由〕即位による 〔改元年月日〕応徳 おうとく 4年(1087)4月7日寛治と改元、寛治8年(1094)12月15日嘉保 かほう と改む 〔出典〕『礼記 らいき 』祭法の「湯以寛治民、而除其虐、文王以文治、武王以武功、此皆有功烈於民者也」による 〔勘申者〕大江匡房(左大弁) 〔当代の主要事件〕元年後三年 ごさんねん の役終わる 6年源義家 よしいえ の荘園 しょうえん を停止 7年興福寺衆徒ら強訴 ごうそ 寛正 かんしょう 〔相当西暦年〕1460~1466(室町時代) 〔天皇〕後花園 ごはなぞの 、後土御門 ごつちみかど 〔改元理由〕天下飢饉 ききん による 〔改元年月日〕長禄 ちょうろく 4年(1460)12月21日寛正と改元、寛正7年(1466)2月28日文正 ぶんしょう と改む 〔出典〕『孔子家語 こうしけご 』の「外寛而内正」による 〔勘申者〕藤原勝光(権大納言 ごんだいなごん ) 〔当代の主要事件〕2年寛正の凶作 3年土一揆 つちいっき が京・奈良に入る 4年京都に徳政一揆 6年延暦 えんりゃく 寺衆徒が大谷本願寺を破却、蓮如 れんにょ は近江 おうみ 堅田 かたた に移る 寛政 かんせい 〔相当西暦年〕1789~1801(江戸時代) 〔天皇〕光格 こうかく 〔改元理由〕内裏 だいり 炎上などによる 〔改元年月日〕天明 てんめい 9年(1789)1月25日寛政と改元、寛政13年(1801)2月5日享和 きょうわ と改む 〔出典〕『左伝』昭公20年の「施之以寛、寛以済猛、猛以済寛、政是以和」による 〔勘申者〕菅原胤長(前権中納言 ごんちゅうなごん ) 〔当代の主要事件〕2年人足寄場を江戸石川島に設置、寛政異学の禁 4年ロシア使節ラクスマン根室 ねむろ に来航 12年伊能忠敬 ただたか 、蝦夷 えぞ 地測量 寛徳 かんとく 〔相当西暦年〕1044~1046(平安時代) 〔天皇〕後朱雀 ごすざく 、後冷泉 ごれいぜい 〔改元理由〕疾疫、干魃 かんばつ による 〔改元年月日〕長久 ちょうきゅう 5年(1044)11月24日寛徳と改元、寛徳3年(1046)4月14日永承 えいしょう と改む 〔出典〕『後漢書 ごかんじょ 』巻57杜林 とりん 伝の「海内歓欣、人懐寛徳」による 〔勘申者〕平定親(文章博士 もんじょうはかせ )、大江挙周(式部権大輔 ごんのたいふ ) 〔当代の主要事件〕2年新立荘園 しょうえん 停止令 寛和 かんな/かんわ 〔相当西暦年〕985~987(平安時代) 〔天皇〕花山 かざん 、一条 いちじょう 〔改元理由〕花山天皇の即位による 〔改元年月日〕永観 えいかん 3年(985)4月27日寛和と改元、寛和3年(987)4月5日永延 えいえん と改む 〔出典〕不明、『書経』君陳 くんちん に「寛而有制、従容以和」、『後漢書 ごかんじょ 』巻73何敞 かしょう 伝に「以寛和為政」とある 〔勘申者〕不明 〔当代の主要事件〕元年『往生 おうじょう 要集』成る 2年 然 ちょうねん 、宋 そう 版「大蔵経 だいぞうきょう 」をもたらす 寛仁 かんにん 〔相当西暦年〕1017~1021(平安時代) 〔天皇〕後一条 ごいちじょう 〔改元理由〕即位による 〔改元年月日〕長和 ちょうわ 6年(1017)4月23日寛仁と改元、寛仁5年(1021)2月2日治安 じあん と改む 〔出典〕『会稽 かいけい 記』の「寛仁祐云々」によるという 〔勘申者〕藤原広業(式部大輔 たいふ ) 〔当代の主要事件〕元年藤原道長太政 だいじょう 大臣となる、伊勢 いせ 国百姓ら国守藤原孝忠 たかただ の重任を請う 3年刀伊 とい の入寇 にゅうこう 、藤原頼通 よりみち 関白となる 観応 かんのう/かんおう 〔相当西暦年〕1350~1352(南北朝時代) 〔天皇〕【北朝】崇光 すこう 、後光厳 ごこうごん 〔改元理由〕崇光天皇の即位による 〔改元年月日〕貞和 じょうわ 6年(1350)2月27日観応と改元、観応3年(1352)9月27日文和 ぶんな と改む 〔出典〕『荘子 そうじ 』外篇 がいへん 天地の「玄古之君天下無為也、疏曰、以虚通之理、観応物之数而無為」による 〔勘申者〕藤原行光(文章博士 もんじょうはかせ ) 〔当代の主要事件〕2年高師直 こうのもろなお ・師泰 もろやす 殺される、足利尊氏 あしかがたかうじ 南朝に降 くだ る 3年正平一統破れ、南軍入京 寛平 かんぴょう/かんぺい/かんへい 〔相当西暦年〕889~898(平安時代) 〔天皇〕宇多 うだ 、醍醐 だいご 〔改元理由〕宇多天皇の即位による 〔改元年月日〕仁和 にんな 5年(889)4月27日寛平と改元、寛平10年(898)4月26日昌泰 しょうたい と改む 〔出典〕不明、『漢書 かんじょ 』巻76王尊伝に「寛大之政行、和平之気通」、『後漢書 ごかんじょ 』巻76郭躬伝に「躬家世掌法、務在寛平」とある 〔勘申者〕不明 〔当代の主要事件〕6年遣唐使廃止 8年百姓の荒田・閑地占有、五位以上の私営田を禁止 寛文 かんぶん 〔相当西暦年〕1661~1673(江戸時代) 〔天皇〕後西 ごさい 、霊元 れいげん 〔改元理由〕内裏 だいり 炎上など火災による 〔改元年月日〕万治 まんじ 4年(1661)4月25日寛文と改元、寛文13年(1673)9月21日延宝 えんぽう と改む 〔出典〕『荀子 じゅんし 』巻第9致士篇の「節奏陵而文、生民寛而安、上文下安、功名之極也」による 〔勘申者〕菅原為庸(式部権大輔 ごんのたいふ ) 〔当代の主要事件〕2年若年寄設置 8年京都町奉行 まちぶぎょう 設置 9年蝦夷 えぞ (シャクシャイン)の乱 11年河村瑞賢 ずいけん が東廻 ひがしまわり 航路開発 寛保 かんほう/かんぽう 〔相当西暦年〕1741~1744(江戸時代) 〔天皇〕桜町 さくらまち 〔改元理由〕辛酉 しんゆう 革命による 〔改元年月日〕元文 げんぶん 6年(1741)2月27日寛保と改元、寛保4年(1744)2月21日延享 えんきょう と改む 〔出典〕『国語』巻2周語の「寛所以保本也」による 〔勘申者〕菅原長香(文章博士 もんじょうはかせ ) 〔当代の主要事件〕2年公事方御定書 くじかたおさだめがき 制定 3年諸国に菜種 なたね 栽培を奨励 久安 きゅうあん 〔相当西暦年〕1145~1151(平安時代) 〔天皇〕近衛 このえ 〔改元理由〕彗星 すいせい の出現による 〔改元年月日〕天養 てんよう 2年(1145)7月22日久安と改元、久安7年(1151)1月26日仁平 にんぺい と改む 〔出典〕『晋書 しんじょ 』巻46劉頌 りゅうしょう 伝の「建久安於万載、垂長世於無窮」による 〔勘申者〕藤原永範(文章博士 もんじょうはかせ ) 〔当代の主要事件〕2年平清盛 きよもり が安芸守 あきのかみ となる 3年延暦 えんりゃく 寺僧徒ら平忠盛・清盛の流罪を強訴 ごうそ 4年土御門 つちみかど 殿焼失 5年藤原頼長 よりなが 左大臣となる 久寿 きゅうじゅ 〔相当西暦年〕1154~1156(平安時代) 〔天皇〕近衛 このえ 、後白河 ごしらかわ 〔改元理由〕変異、厄運による 〔改元年月日〕仁平 にんぺい 4年(1154)10月28日久寿と改元、久寿3年(1156)4月27日保元 ほうげん と改む 〔出典〕『抱朴子 ほうぼくし 』内篇巻8の「其業在於全身久寿」による 〔勘申者〕藤原朝隆(右大弁) 〔当代の主要事件〕元年源為朝 ためとも の乱行により父為義 ためよし 解官 2年源義朝 よしとも に弟源頼賢 よりかた 討伐を命ず 慶雲 きょううん/けいうん 〔相当西暦年〕704~708(奈良時代) 〔天皇〕文武 もんむ 、元明 げんめい 〔改元理由〕西楼上に慶雲を見た瑞祥 ずいしょう による 〔改元年月日〕大宝 たいほう 4年(704)5月10日慶雲と改元、慶雲5年(708)1月11日和銅 わどう と改む 〔出典〕不明、『文選 もんぜん 』巻6に「朝想慶雲興、夕遅白日移」、『晋書 しんじょ 』巻54陸雲伝に「天網広羅、慶雲興以招龍」とある 〔勘申者〕不明 〔当代の主要事件〕2年中納言 ちゅうなごん を置く 3年諸臣の山野占有を禁止 享徳 きょうとく 〔相当西暦年〕1452~1455(室町時代) 〔天皇〕後花園 ごはなぞの 〔改元理由〕三合厄、疱瘡 ほうそう の流行による 〔改元年月日〕宝徳 ほうとく 4年(1452)7月25日享徳と改元、享徳4年(1455)7月25日康正 こうしょう と改む 〔出典〕『書経』周書・微子 びし 之命の「世世享徳、万邦作式」による 〔勘申者〕菅原為賢(文章博士 もんじょうはかせ ) 〔当代の主要事件〕元年細川勝元 かつもと が管領 かんれい となる 2年遣明 けんみん 使北京 ペキン に入る 3年畠山 はたけやま 政長が義就 よしなり と家督を争う、足利成氏 あしかがしげうじ が上杉憲忠 のりただ を殺す 享保 きょうほう 〔相当西暦年〕1716~1736(江戸時代) 〔天皇〕中御門 なかみかど 、桜町 さくらまち 〔改元理由〕変異による 〔改元年月日〕正徳 しょうとく 6年(1716)6月22日享保と改元、享保21年(1736)4月28日元文 げんぶん と改む 〔出典〕『後漢書 ごかんじょ 』の「享茲大命、保有万国」によるという 〔勘申者〕菅原長義(式部権大輔 ごんのたいふ ) 〔当代の主要事件〕元年徳川吉宗 よしむね 将軍となり享保の改革始まる 3年定免制を定める 6年目安箱を設置 7年諸大名に上米 あげまい を課し参勤期間を緩和 8年足高 たしだか の制を定める 17年全国的大飢饉 ききん 享禄 きょうろく 〔相当西暦年〕1528~1532(室町時代) 〔天皇〕後奈良 ごなら 〔改元理由〕即位による 〔改元年月日〕大永 たいえい 8年(1528)8月20日享禄と改元、享禄5年(1532)7月29日天文 てんぶん と改む 〔出典〕『易経』大畜卦彖程 だいちくかたんてい 氏伝注の「居天位、享天禄也」による 〔勘申者〕菅原和長(前大納言 だいなごん ) 〔当代の主要事件〕2年叡山 えいざん 宗徒が京中の日蓮 にちれん 宗徒を殺す 4年上杉憲政 のりまさ 関東管領 かんれい となる 享和 きょうわ 〔相当西暦年〕1801~1804(江戸時代) 〔天皇〕光格 こうかく 〔改元理由〕辛酉 しんゆう 革命による 〔改元年月日〕寛政 かんせい 13年(1801)2月5日享和と改元、享和4年(1804)2月11日文化 ぶんか と改む 〔出典〕『文選 もんぜん 』巻11晋紀総論の「順乎天而享其運、応乎人而和其義」による 〔勘申者〕菅原在煕(前参議) 〔当代の主要事件〕元年伊能忠敬 ただたか に諸国の沿岸測量を命ず 2年蝦夷奉行 えぞぶぎょう (後の箱館 はこだて 奉行)設置 3年アメリカ船・イギリス船長崎に来航 慶安 けいあん/きょうあん 〔相当西暦年〕1648~1652(江戸時代) 〔天皇〕後光明 ごこうみょう 〔改元理由〕御慎による 〔改元年月日〕正保 しょうほう 5年(1648)2月15日慶安と改元、慶安5年(1652)9月18日承応 じょうおう と改む 〔出典〕『易経』彖 たん 上伝の「乃終有慶、安貞之吉応地無疆」による 〔勘申者〕菅原為適(前参議) 〔当代の主要事件〕2年農民法度 はっと (慶安御触書 おふれがき )・検地条目制定 4年慶安事件、由比正雪 ゆいしょうせつ 自殺、徳川家綱 いえつな 将軍となる 慶応 けいおう 〔相当西暦年〕1865~1868(江戸時代) 〔天皇〕孝明 こうめい 、明治 めいじ 〔改元理由〕京都兵乱、世間不穏による 〔改元年月日〕元治 げんじ 2年(1865)4月7日慶応と改元、慶応4年(1868)9月8日明治と改む 〔出典〕『文選 もんぜん 』巻10の「慶雲応輝、皇階授木」による 〔勘申者〕菅原在光(式部大輔 たいふ ) 〔当代の主要事件〕元年第二次長州征伐令 2年薩長 さっちょう 同盟成る、徳川慶喜将軍となる、世直し一揆 いっき 高まる 4年五か条の誓文 せいもん 、五榜 ごぼう の掲示、政体書頒布 はんぷ 慶長 けいちょう/きょうちょう 〔相当西暦年〕1596~1615(江戸時代) 〔天皇〕後陽成 ごようぜい 、後水尾 ごみずのお 〔改元理由〕天変、地妖 ちよう による 〔改元年月日〕文禄 ぶんろく 5年(1596)10月27日慶長と改元、慶長20年(1615)7月13日元和 げんな と改む 〔出典〕『毛詩注疏 もうしちゅうそ 』の「文王功徳深厚、故福慶延長」による 〔勘申者〕菅原為経(文章博士 もんじょうはかせ ) 〔当代の主要事件〕2年朝鮮再征を命ず(慶長の役) 5年関ヶ原の戦い 8年徳川家康が征夷大将軍となり幕府を開く 10年徳川秀忠 ひでただ が将軍となる 12年林羅山 らざん 将軍侍講 じこう となる 建永 けんえい 〔相当西暦年〕1206~1207(鎌倉時代) 〔天皇〕土御門 つちみかど 〔改元理由〕赤斑瘡による 〔改元年月日〕元久 げんきゅう 3年(1206)4月27日建永と改元、建永2年(1207)10月25日承元 じょうげん と改む 〔出典〕『文選 もんぜん 』巻9の「流恵下民、建永世之業」による 〔勘申者〕藤原範光(春宮権大夫 とうぐうごんのたいふ )、菅原在高(式部大輔 たいふ ) 〔当代の主要事件〕2年源空(法然 ほうねん )・親鸞 しんらん 配流される、和泉 いずみ ・紀伊両国守護を停止 元永 げんえい 〔相当西暦年〕1118~1120(平安時代) 〔天皇〕鳥羽 とば 〔改元理由〕天変、疾疫による 〔改元年月日〕永久 えいきゅう 6年(1118)4月3日元永と改元、元永3年(1120)4月10日保安 ほうあん と改む 〔出典〕不明、『易経』坤 こん 上坎 かん 下に「比吉原筮元永貞、无咎」とある 〔勘申者〕菅原在良(式部大輔 たいふ ) 〔当代の主要事件〕2年平正盛 まさもり 、京・鎮西 ちんぜい に賊を討つ 元応 げんおう 〔相当西暦年〕1319~1321(鎌倉時代) 〔天皇〕後醍醐 ごだいご 〔改元理由〕即位による 〔改元年月日〕文保 ぶんぽう 3年(1319)4月28日元応と改元、元応3年(1321)2月23日元亨 げんこう と改む 〔出典〕『旧唐書 くとうじょ 』の「陛下富教安人、務農敦本、光復社稷、康済黎元之応也」によるという 〔勘申者〕菅原在輔(式部大輔 たいふ )、藤原俊光(前大納言 だいなごん ) 〔当代の主要事件〕2年出羽 でわ の蝦夷 えぞ 反乱 元亀 げんき 〔相当西暦年〕1570~1573(室町時代) 〔天皇〕正親町 おおぎまち 〔改元理由〕兵革による 〔改元年月日〕永禄 えいろく 13年(1570)4月23日元亀と改元、元亀4年(1573)7月28日天正 てんしょう と改む 〔出典〕『詩経』魯頌 水篇 ろしょうはんすいへん の「憬彼淮夷、来献其 、元亀象歯大賂南金」、『文選 もんぜん 』巻1蜀都 しょくと 賦の「元亀水処、潜竜蟠於沮沢、応鳴鼓而興雨」による 〔勘申者〕菅原長雅(式部大輔 たいふ ) 〔当代の主要事件〕元年姉川の戦い、ポルトガル船長崎で初めて交易 2年織田信長延暦 えんりゃく 寺を焼打ち 建久 けんきゅう 〔相当西暦年〕1190~1199(鎌倉時代) 〔天皇〕後鳥羽 ごとば 、土御門 つちみかど 〔改元理由〕明年が三合厄、地震・異変による 〔改元年月日〕文治 ぶんじ 6年(1190)4月11日建久と改元、建久10年(1199)4月27日正治 しょうじ と改む 〔出典〕『呉志』巻7の「安国和民建久長之計」、『晋書 しんじょ 』巻46劉頌 りゅうしょう 伝の「建久安於万歳、垂長世於無窮」による 〔勘申者〕藤原光輔(文章博士 もんじょうはかせ ) 〔当代の主要事件〕2年栄西 えいさい 帰国、臨済 りんざい 禅を伝える 3年源頼朝 よりとも 征夷 せいい 大将軍となる 6年頼朝京都に入る、東大寺再建の供養 元久 げんきゅう 〔相当西暦年〕1204~1206(鎌倉時代) 〔天皇〕土御門 つちみかど 〔改元理由〕甲子 かっし 革令による 〔改元年月日〕建仁 けんにん 4年(1204)2月20日元久と改元、元久3年(1206)4月27日建永 けんえい と改む 〔出典〕『毛詩 もうし 正義』の「文王建元久矣」による 〔勘申者〕藤原親経(参議) 〔当代の主要事件〕元年源頼家 よりいえ 殺される 2年『新古今和歌集』成る、北条義時 よしとき 執権となる 乾元 けんげん 〔相当西暦年〕1302~1303(鎌倉時代) 〔天皇〕後二条 ごにじょう 〔改元理由〕即位による 〔改元年月日〕正安 しょうあん 4年(1302)11月21日乾元と改元、乾元2年(1303)8月5日嘉元 かげん と改む 〔出典〕『易経』乾卦 けんか の「大哉乾元、万物資始、乃統天」による 〔勘申者〕菅原長成(前宰相) 〔当代の主要事件〕2年京極為兼 きょうごくためかね 佐渡から召還 元弘 げんこう 〔相当西暦年〕1331~1334(南北朝時代) 〔天皇〕【南朝】後醍醐 ごだいご 〔改元理由〕疫疾の流行による 〔改元年月日〕元徳 げんとく 3年(1331)8月9日元弘と改元、元弘4年(1334)1月29日建武 けんむ と改む 〔出典〕『芸文類聚 げいもんるいじゅう 』巻1天部の「老人星体色光明、嘉占元吉、弘無量之裕降克昌之祥、普天同慶率土合歓」による 〔勘申者〕菅原在登(式部大輔 たいふ ) 〔当代の主要事件〕元年幕府光厳 こうごん 天皇を擁立 3年鎌倉幕府滅亡、記録所・雑訴決断所設置 元亨 げんこう 〔相当西暦年〕1321~1324(鎌倉時代) 〔天皇〕後醍醐 ごだいご 〔改元理由〕辛酉 しんゆう 革命による 〔改元年月日〕元応 げんおう 3年(1321)2月23日元亨と改元、元亨4年(1324)12月9日正中 しょうちゅう と改む 〔出典〕『易経』彖 たん 上の「其徳剛健而文明、応乎天、而時行、是以元亨」による 〔勘申者〕藤原資朝(文章博士 もんじょうはかせ ) 〔当代の主要事件〕元年天皇親政、記録所を置く 2年『元亨釈書』成る、奈良の僧徒闘争、出羽 でわ の蝦夷 えぞ 反乱 建治 けんじ 〔相当西暦年〕1275~1278(鎌倉時代) 〔天皇〕後宇多 ごうだ 〔改元理由〕即位による 〔改元年月日〕文永 ぶんえい 12年(1275)4月25日建治と改元、建治4年(1278)2月29日弘安 こうあん と改む 〔出典〕『周礼 しゅらい 』の「以治建国之為政」によるという 〔勘申者〕菅原在匡(文章博士 もんじょうはかせ ) 〔当代の主要事件〕元年幕府、蒙古 もうこ の使者を斬る、幕府外征を計画 2年鎮西 ちんぜい の将士に海岸に石築地 いしついじ をつくることを命ず 元治 げんじ 〔相当西暦年〕1864~1865(江戸時代) 〔天皇〕孝明 こうめい 〔改元理由〕甲子 かっし 革令による 〔改元年月日〕文久 ぶんきゅう 4年(1864)2月20日元治と改元、元治2年(1865)4月7日慶応 けいおう と改む 〔出典〕『易経』乾卦 けんか の「乾元用九天下治也」による 〔勘申者〕菅原為栄(文章博士 もんじょうはかせ ) 〔当代の主要事件〕元年池田屋事件、禁門の変、下関 しものせき 戦争、第一次長州征伐、高杉晋作 しんさく 挙兵 元中 げんちゅう 〔相当西暦年〕1384~1392(南北朝時代) 〔天皇〕【南朝】後亀山 ごかめやま 〔改元理由〕甲子 かっし 革令による 〔改元年月日〕弘和 こうわ 4年(1384)4月28日元中と改元、元中10年(1392)1月より北朝年号明徳 めいとく (4年)を用いた 〔出典〕不明、『易経』象 しょう 上伝に「黄裳元吉、文在中也」、「訟元吉以中正也」とある 〔勘申者〕不明 〔当代の主要事件〕9年南北朝合体 建長 けんちょう 〔相当西暦年〕1249~1256(鎌倉時代) 〔天皇〕後深草 ごふかくさ 〔改元理由〕天変、火災による 〔改元年月日〕宝治 ほうじ 3年(1249)3月18日建長と改元、建長8年(1256)10月5日康元 こうげん と改む 〔出典〕『後漢書 ごかんじょ 』巻65段 だんけい 伝の「建長久之策」による 〔勘申者〕藤原経光(前権中納言 ごんちゅうなごん ) 〔当代の主要事件〕元年引付 ひきつけ 衆を設置 4年宗尊 むねたか 親王将軍となる、『十訓抄 じっきんしょう 』成る 5年日蓮 にちれん 鎌倉で説法、建長寺創建 6年『古今著聞集 ここんちょもんじゅう 』成る 建徳 けんとく 〔相当西暦年〕1370~1372(南北朝時代) 〔天皇〕【南朝】長慶 ちょうけい 〔改元理由〕不明 〔改元年月日〕正平 しょうへい 25年(1370)7月24日建徳と改元、建徳3年(1372)4月(日不明)文中 ぶんちゅう と改む 〔出典〕『文選 もんぜん 』巻2の「建至徳以創洪業」による 〔勘申者〕不明 〔当代の主要事件〕2年ごろ『太平記』成る 元徳 げんとく 〔相当西暦年〕1329~1331(鎌倉時代) 〔天皇〕後醍醐 ごだいご 〔改元理由〕疾疫の流行による 〔改元年月日〕嘉暦 かりゃく 4年(1329)8月29日元徳と改元、元徳3年(1331)8月9日元弘 げんこう と改む 〔出典〕『易経』の「乾元亨利貞」の正義「元者善之長、謂天之元徳、始生万物」によるという 〔勘申者〕藤原行氏(文章博士 もんじょうはかせ ) 〔当代の主要事件〕2年北条茂時 しげとき 連署となる 3年幕府日野俊基 としもと らを捕らえる 元和 げんな 〔相当西暦年〕1615~1624(江戸時代) 〔天皇〕後水尾 ごみずのお 〔改元理由〕即位による 〔改元年月日〕慶長 けいちょう 20年(1615)7月13日元和と改元、元和10年(1624)2月30日寛永 かんえい と改む 〔出典〕唐の憲宗のときの年号による 〔勘申者〕菅原為経(権中納言 ごんちゅうなごん 、式部大輔 たいふ ) 〔当代の主要事件〕元年武家諸法度 しょはっと 制定、禁中並公家諸法度 きんちゅうならびにくげしょはっと (禁中并公家中諸法度)制定 8年元和大殉教 9年徳川家光 いえみつ 将軍となる 建仁 けんにん 〔相当西暦年〕1201~1204(鎌倉時代) 〔天皇〕土御門 つちみかど 〔改元理由〕辛酉 しんゆう 革命による 〔改元年月日〕正治 しょうじ 3年(1201)2月13日建仁と改元、建仁4年(1204)2月20日元久 げんきゅう と改む 〔出典〕『文選 もんぜん 』巻10の「竭智付賢者、必建仁策」による 〔勘申者〕藤原宗業(文章博士 もんじょうはかせ ) 〔当代の主要事件〕2年源頼家 よりいえ 将軍となる、栄西 えいさい が建仁 けんにん 寺を創建 3年比企能員 ひきよしかず の乱、源実朝 さねとも 将軍となる 元仁 げんにん 〔相当西暦年〕1224~1225(鎌倉時代) 〔天皇〕後堀河 ごほりかわ 〔改元理由〕天変、炎旱 えんかん による 〔改元年月日〕貞応 じょうおう 3年(1224)11月20日元仁と改元、元仁2年(1225)4月20日嘉禄 かろく と改む 〔出典〕『易経』乾卦 けんか の「元亨利貞、正義曰、元則仁也」による 〔勘申者〕菅原為長(式部大輔 たいふ ) 〔当代の主要事件〕元年(~寛元1ころ)親鸞 しんらん 『教行信証 きょうぎょうしんしょう 』を執筆 元文 げんぶん 〔相当西暦年〕1736~1741(江戸時代) 〔天皇〕桜町 さくらまち 〔改元理由〕即位による 〔改元年月日〕享保 きょうほう 21年(1736)4月28日元文と改元、元文6年(1741)2月27日寛保 かんほう と改む 〔出典〕『文選 もんぜん 』巻3の「武創元基、文集大命、皆体天作制、順時立政」による 〔勘申者〕菅原在秀(文章博士 もんじょうはかせ ) 〔当代の主要事件〕元年江戸城中で政治批判を禁止 3年諸国の戸籍調査 4年ロシア船陸奥 むつ ・安房 あわ 沖に出没 建保 けんぽう/けんほう 〔相当西暦年〕1213~1219(鎌倉時代) 〔天皇〕順徳 じゅんとく 〔改元理由〕天変、地妖 ちよう による 〔改元年月日〕建暦 けんりゃく 3年(1213)12月6日建保と改元、建保7年(1219)4月12日承久 じょうきゅう と改む 〔出典〕『書経』周書・多士の「惟天丕建、保乂有殷」による 〔勘申者〕藤原宗業(式部大輔 たいふ ) 〔当代の主要事件〕元年『金槐 きんかい 和歌集』成る 4年源実朝 さねとも 渡宋 とそう を計画 7年公暁 くぎょう が実朝を殺す 建武 けんむ 〔相当西暦年〕1334~1336(南北朝時代) 〔天皇〕【南朝】後醍醐 ごだいご 〔改元理由〕擾乱 じょうらん 帰正による 〔改元年月日〕元弘 げんこう 4年(1334)1月29日建武と改元、建武3年(1336)2月29日延元 えんげん と改む、北朝では建武5年(1338)8月28日暦応 りゃくおう と改む 〔出典〕後漢 ごかん の光武帝のときの年号による、『後漢書 ごかんじょ 』巻1光武帝紀に「建元為建武」とある 〔勘申者〕藤原藤範(前民部卿 みんぶきょう )ら 〔当代の主要事件〕元年二条河原落書 2年中先代 なかせんだい の乱(護良 もりよし 親王殺される)、足利尊氏 あしかがたかうじ 征東将軍となり鎌倉へ下る 建暦 けんりゃく 〔相当西暦年〕1211~1213(鎌倉時代) 〔天皇〕順徳 じゅんとく 〔改元理由〕即位による 〔改元年月日〕承元 じょうげん 5年(1211)3月9日建暦と改元、建暦3年(1213)12月6日建保 けんぽう と改む 〔出典〕『後漢書 ごかんじょ 』巻12律暦志の「建暦之本必先立元」、『宋書 そうじょ 』巻12の「建暦之本、必先立元」による 〔勘申者〕菅原為長(式部大輔 たいふ )、藤原孝範(文章博士 もんじょうはかせ )、藤原資実(権中納言 ごんちゅうなごん ) 〔当代の主要事件〕2年『方丈記』成る 3年和田義盛 よしもり の乱 元暦 げんりゃく 〔相当西暦年〕1184~1185(平安時代) 〔天皇〕後鳥羽 ごとば (安徳) 〔改元理由〕即位による 〔改元年月日〕寿永 じゅえい 3年(1184)4月16日元暦と改元、元暦2年(1185)8月14日文治 ぶんじ と改む 〔出典〕『尚書考霊耀 しょうしょこうれいよう 』の「天地開闢、元暦紀名、月首甲子、冬至」によるという 〔勘申者〕藤原光範(文章博士 もんじょうはかせ ) 〔当代の主要事件〕元年源頼朝 よりとも 鎌倉に公文所 くもんじょ ・問注所設置 2年壇 だん ノ浦の合戦、平氏滅亡 元禄 げんろく 〔相当西暦年〕1688~1704(江戸時代) 〔天皇〕東山 ひがしやま 〔改元理由〕即位による 〔改元年月日〕貞享 じょうきょう 5年(1688)9月30日元禄と改元、元禄17年(1704)3月13日宝永 ほうえい と改む 〔出典〕『宋史 そうし 』巻104の「恵綏黎元、懋建皇極、天禄無疆」による 〔勘申者〕菅原長量(文章博士 もんじょうはかせ ) 〔当代の主要事件〕7年生類憐 しょうるいあわれ みの令出る 9年改鋳金銀交換規則を定める 15年赤穂 あこう 浪士が吉良義央 きらよしなか を討つ 弘安 こうあん 〔相当西暦年〕1278~1288(鎌倉時代) 〔天皇〕後宇多 ごうだ 、伏見 ふしみ 〔改元理由〕疾疫の流行による 〔改元年月日〕建治 けんじ 4年(1278)2月29日弘安と改元、弘安11年(1288)4月28日正応 しょうおう と改む 〔出典〕『太宗実録』の「弘安民之道」によるという 〔勘申者〕藤原茂範(従三位 じゅさんみ ) 〔当代の主要事件〕2年『後拾遺 ごしゅうい 和歌集』成る 4年蒙古 もうこ 襲来(弘安の役) 6年『沙石 しゃせき 集』成る 7年北条貞時 さだとき 執権となる 8年霜月 しもつき 騒動 康安 こうあん 〔相当西暦年〕1361~1362(南北朝時代) 〔天皇〕【北朝】後光厳 ごこうごん 〔改元理由〕兵革、天変、地妖 ちよう 、疾疫などによる 〔改元年月日〕延文 えんぶん 6年(1361)3月29日康安と改元、康安2年(1362)9月23日貞治 じょうじ と改む 〔出典〕『旧唐書 くとうじょ 』巻28の「作治康凱安之舞」、『史記正義』の「天下衆事咸得康安、以致天下太平」によるという 〔勘申者〕菅原高嗣(勘解由 かげゆ 長官)、菅原長綱(刑部卿 ぎょうぶきょう ) 〔当代の主要事件〕元年南軍京都を攻め、足利義詮 あしかがよしあきら 近江 おうみ へ逃れる 2年北朝の後光厳天皇入京 康永 こうえい 〔相当西暦年〕1342~1345(南北朝時代) 〔天皇〕【北朝】光明 こうみょう 〔改元理由〕天変、地妖 ちよう による 〔改元年月日〕暦応 りゃくおう 5年(1342)4月27日康永と改元、康永4年(1345)10月21日貞和 じょうわ と改む 〔出典〕『漢書 かんじょ 』の「海内康平、永保国家」によるという 〔勘申者〕紀行親(文章博士 もんじょうはかせ ) 〔当代の主要事件〕3年高師冬 こうのもろふゆ 、常陸 ひたち から鎌倉に入る 4年国ごとに安国寺利生塔 りしょうとう を置く 康応 こうおう 〔相当西暦年〕1389~1390(南北朝時代) 〔天皇〕【北朝】後小松 ごこまつ 〔改元理由〕病事による 〔改元年月日〕嘉慶 かけい 3年(1389)2月9日康応と改元、康応2年(1390)3月26日明徳 めいとく と改む 〔出典〕『文選 もんぜん 』巻8七啓の「国富民康、神応烋臻、屡獲嘉祥」による 〔勘申者〕菅原秀長(非参議) 〔当代の主要事件〕元年足利義満 あしかがよしみつ 厳島 いつくしま 社に参詣 弘化 こうか 〔相当西暦年〕1844~1848(江戸時代) 〔天皇〕仁孝 にんこう 、孝明 こうめい 〔改元理由〕江戸城の火災による 〔改元年月日〕天保 てんぽう 15年(1844)12月2日弘化と改元、弘化5年(1848)2月28日嘉永 かえい と改む 〔出典〕『書経』周官の「弍公弘化、寅亮天地」による 〔勘申者〕菅原為定(式部大輔 たいふ ) 〔当代の主要事件〕2年オランダ政府の開国の勧めを拒絶、イギリス艦長崎に来航 3年アメリカ東インド艦隊司令長官ビッドル浦賀にくる 康元 こうげん 〔相当西暦年〕1256~1257(鎌倉時代) 〔天皇〕後深草 ごふかくさ 〔改元理由〕赤斑瘡の流行による 〔改元年月日〕建長 けんちょう 8年(1256)10月5日康元と改元、康元2年(1257)3月14日正嘉 しょうか と改む 〔出典〕不明、『隋書 ずいしょ 』巻15に「康哉元首、恵我無疆、天長地久」とある 〔勘申者〕藤原経範(文章博士 もんじょうはかせ ) 〔当代の主要事件〕元年北条長時 ながとき 執権となる 興国 こうこく 〔相当西暦年〕1340~1346(南北朝時代) 〔天皇〕【南朝】後村上 ごむらかみ 〔改元理由〕即位による 〔改元年月日〕延元 えんげん 5年(1340)4月28日興国と改元、興国7年(1346)12月8日正平 しょうへい と改む 〔出典〕不明、『文選 もんぜん 』巻5諷諫 ふうかん 詩に「興国救顛、孰違悔過」とある 〔勘申者〕不明 〔当代の主要事件〕2年高師冬 こうのもろふゆ 常陸 ひたち 国大宝城を攻める 4年関・大宝両城落ちる 5年師冬常陸から鎌倉に入る 弘治 こうじ 〔相当西暦年〕1555~1558(室町時代) 〔天皇〕後奈良 ごなら 、正親町 おおぎまち 〔改元理由〕兵革による 〔改元年月日〕天文 てんぶん 24年(1555)10月23日弘治と改元、弘治4年(1558)2月28日永禄 えいろく と改む 〔出典〕『北斉書』の「祇承宝命、志弘治体」によるという 〔勘申者〕菅原長雅(権中納言 ごんちゅうなごん ) 〔当代の主要事件〕3年毛利元就 もとなり が大内義長を殺し防長両国を平定 康治 こうじ 〔相当西暦年〕1142~1144(平安時代) 〔天皇〕近衛 このえ 〔改元理由〕即位による 〔改元年月日〕永治 えいじ 2年(1142)4月28日康治と改元、康治3年(1144)2月23日天養 てんよう と改む 〔出典〕『宋書 そうじょ 』の「以康治道」によるという 〔勘申者〕藤原永範(文章博士 もんじょうはかせ ) 〔当代の主要事件〕2年源為義 ためよし が藤原頼長 よりなが に従属 康正 こうしょう 〔相当西暦年〕1455~1457(室町時代) 〔天皇〕後花園 ごはなぞの 〔改元理由〕兵革連綿による 〔改元年月日〕享徳 きょうとく 4年(1455)7月25日康正と改元、康正3年(1457)9月28日長禄 ちょうろく と改む 〔出典〕『史記』巻38および『書経』洪範 こうはん の「平康正直」による 〔勘申者〕菅原在治(文章博士 もんじょうはかせ )、菅原益長(行権中納言 こうごんちゅうなごん ) 〔当代の主要事件〕2年土一揆 つちいっき 、徳政を要求して日吉 ひえ 社に入る 3年太田資長 すけなが 江戸城を築く 弘長 こうちょう 〔相当西暦年〕1261~1264(鎌倉時代) 〔天皇〕亀山 かめやま 〔改元理由〕辛酉 しんゆう 革命による 〔改元年月日〕文応 ぶんおう 2年(1261)2月20日弘長と改元、弘長4年(1264)2月28日文永 ぶんえい と改む 〔出典〕『貞観政要 じょうがんせいよう 』巻3封建の「閼治定之規、以弘長世之業者、万古不易、百慮同帰」によるという 〔勘申者〕不明 〔当代の主要事件〕元年日蓮 にちれん 伊豆の伊東に流される 3年日蓮赦免 弘仁 こうにん 〔相当西暦年〕810~824(平安時代) 〔天皇〕嵯峨 さが 、淳和 じゅんな 〔改元理由〕嵯峨天皇の即位による 〔改元年月日〕大同 だいどう 5年(810)9月19日弘仁と改元、弘仁15年(824)1月5日天長 てんちょう と改む 〔出典〕不明 〔勘申者〕不明 〔当代の主要事件〕2年俘囚 ふしゅう 計帳をつくる、文室綿麻呂 ふんやのわたまろ 征夷 せいい 大将軍となり蝦夷 えみし 征討、六衛府 えふ の成立 5年『新撰姓氏録 しんせんしょうじろく 』成る 7年空海が高野山金剛峯寺 こうやさんこんごうぶじ を創設 11年弘仁格式 こうにんきゃくしき 成る 康平 こうへい 〔相当西暦年〕1058~1065(平安時代) 〔天皇〕後冷泉 ごれいぜい 〔改元理由〕大極 だいごく 殿、法成 ほうじょう 寺の火災による 〔改元年月日〕天喜 てんき 6年(1058)8月29日康平と改元、康平8年(1065)8月2日治暦 じりゃく と改む 〔出典〕『後漢書 ごかんじょ 』巻64梁統 りょうとう 伝の「文帝寛恵温克、遭世康平」による 〔勘申者〕藤原実範(文章博士 もんじょうはかせ ) 〔当代の主要事件〕2年一条院内裏 だいり 焼亡、放火頻発により宮城諸門警固 3年『更級 さらしな 日記』成る 5年前九年 ぜんくねん の役終わる 7年『新猿楽 しんさるがく 記』成る 康保 こうほう 〔相当西暦年〕964~968(平安時代) 〔天皇〕村上 むらかみ 、冷泉 れいぜい 〔改元理由〕甲子 かっし 革令、旱魃 かんばつ による 〔改元年月日〕応和 おうわ 4年(964)7月10日康保と改元、康保5年(968)8月13日安和 あんな と改む 〔出典〕『書経』康誥篇 こうこうへん の「別求聞由古先哲王、用康保民弘于天」による 〔勘申者〕菅原文時(文章博士 もんじょうはかせ ) 〔当代の主要事件〕4年『延喜式 えんぎしき 』を施行 康暦 こうりゃく 〔相当西暦年〕1379~1381(南北朝時代) 〔天皇〕【北朝】後円融 ごえんゆう 〔改元理由〕天変、疾疫、兵革による 〔改元年月日〕永和 えいわ 5年(1379)3月22日康暦と改元、康暦3年(1381)2月24日永徳 えいとく と改む 〔出典〕『旧唐書 くとうじょ 』の「承成康之暦業」によるという 〔勘申者〕菅原長嗣(式部大輔 たいふ ) 〔当代の主要事件〕元年管領 かんれい 細川頼之 よりゆき 失脚、斯波義将 しばよしまさ 管領となる 弘和 こうわ 〔相当西暦年〕1381~1384(南北朝時代) 〔天皇〕【南朝】長慶 ちょうけい 、後亀山 ごかめやま 〔改元理由〕辛酉 しんゆう 革命による 〔改元年月日〕天授 てんじゅ 7年(1381)2月10日弘和と改元、弘和4年(1384)4月28日元中 げんちゅう と改む 〔出典〕不明、『書経』君牙篇 くんがへん に「弘敷五典、式和民則」とある 〔勘申者〕不明 〔当代の主要事件〕元年『新葉和歌集』成る 康和 こうわ 〔相当西暦年〕1099~1104(平安時代) 〔天皇〕堀河 ほりかわ 〔改元理由〕地震、疾病による 〔改元年月日〕承徳 じょうとく 3年(1099)8月28日康和と改元、康和6年(1104)2月10日長治 ちょうじ と改む 〔出典〕『崔寔 さいしょう 政論』の「四海康和、天下同楽」によるという 〔勘申者〕藤原正家(式部大輔 たいふ ) 〔当代の主要事件〕3年興福寺衆徒金峯山 きんぶせん と争う、源義親 よしちか 、鎮西 ちんぜい で騒動 4年延暦 えんりゃく 寺・興福寺・東大寺衆徒の強訴 ごうそ 5年京都火災 〔さ行〕 斉衡 さいこう 〔相当西暦年〕854~857(平安時代) 〔天皇〕文徳 もんとく 〔改元理由〕石見 いわみ 国から醴泉 れいせん の瑞 ずい を献上されたことによる 〔改元年月日〕仁寿 にんじゅ 4年(854)11月30日斉衡と改元、斉衡4年(857)2月21日天安 てんあん と改む 〔出典〕不明、『周礼 しゅらい 』冬官考工記の注に「豊礼孰君器斉衡」とある 〔勘申者〕不明 〔当代の主要事件〕2年『続 しょく 日本後紀』の撰修 せんしゅう が命じられる 4年「五紀暦」を採用 治安 じあん 〔相当西暦年〕1021~1024(平安時代) 〔天皇〕後一条 ごいちじょう 〔改元理由〕辛酉 しんゆう 革命による 〔改元年月日〕寛仁 かんにん 5年(1021)2月2日治安と改元、治安4年(1024)7月13日万寿 まんじゅ と改む 〔出典〕『漢書 かんじょ 』巻48賈誼 かぎ 伝の「陛下何不壱令臣得孰数之於前、因陳治安策、試詳択焉」による 〔勘申者〕三善為政 〔当代の主要事件〕2年法成 ほうじょう 寺金堂成る 3年藤原道長が頼通 よりみち を譴責 けんせき する 治承 じしょう 〔相当西暦年〕1177~1181(平安時代) 〔天皇〕高倉 たかくら 、安徳 あんとく 〔改元理由〕大極 だいごく 殿の火災、天変による 〔改元年月日〕安元 あんげん 3年(1177)8月4日治承と改元、治承5年(1181)7月14日養和 ようわ と改む 〔出典〕『河図挺佐輔 かとていさほ 』の「治欽文徳、治承天精」による 〔勘申者〕藤原光範(文章博士 もんじょうはかせ ) 〔当代の主要事件〕3年平清盛 きよもり が後白河 ごしらかわ 院政を停止し、鳥羽 とば 殿に幽閉、『梁塵 りょうじん 秘抄』成る 4年源頼政 よりまさ ・以仁 もちひと 王挙兵、源頼朝 よりとも 挙兵、源(木曽)義仲 よしなか 挙兵、頼朝侍所 さむらいどころ を開設 至徳 しとく 〔相当西暦年〕1384~1387(南北朝時代) 〔天皇〕【北朝】後小松 ごこまつ 〔改元理由〕甲子 かっし 革令による 〔改元年月日〕永徳 えいとく 4年(1384)2月27日至徳と改元、至徳4年(1387)8月23日嘉慶 かけい と改む 〔出典〕『孝経』開宗明義章 めいぎしょう の「先王有至徳要道、以訓天下、民用和睦、上下亡怨」による 〔勘申者〕藤原資康(権中納言 ごんちゅうなごん ) 〔当代の主要事件〕元年『新後拾遺 しんごしゅうい 和歌集』成る、倭寇 わこう が明 みん の浙東 せっとう 、高麗 こうらい の諸道を侵掠 しんりゃく 3年幕府五山の制を定める 寿永 じゅえい 〔相当西暦年〕1182~1184(平安時代) 〔天皇〕安徳 あんとく 、後鳥羽 ごとば 〔改元理由〕飢饉 ききん 、兵革、病事による 〔改元年月日〕養和 ようわ 2年(1182)5月27日寿永と改元、寿永3年(1184)4月16日元暦 げんりゃく と改む、平氏は翌年滅亡するまで寿永を使用 〔出典〕『詩経』周頌載見 しゅうしょうさいけん 篇の「以介眉寿永言保之、思皇多祐」による 〔勘申者〕藤原俊経(勘解由 かげゆ 長官) 〔当代の主要事件〕2年平氏西走、源(木曽)義仲入京 3年義仲敗死、一ノ谷の戦い 朱鳥 しゅちょう/あかみどり 〔相当西暦年〕686(飛鳥 あすか 時代) 〔天皇〕天武 てんむ 〔改元理由〕不明 〔改元年月日〕天武天皇15年(686)7月20日朱鳥と改元、朱鳥元年9月9日天武天皇の崩後使用停止 〔出典〕不明、『礼記 らいき 』曲礼に「行前朱鳥而後玄武、左青龍而右白虎」とある 〔勘申者〕不明 〔当代の主要事件〕宮号を飛鳥浄御原 あすかきよみはら 宮と定む 正安 しょうあん 〔相当西暦年〕1299~1302(鎌倉時代) 〔天皇〕後伏見 ごふしみ 、後二条 ごにじょう 〔改元理由〕後伏見天皇の即位による 〔改元年月日〕永仁7年(1299)4月25日正安と改元、正安4年(1302)11月21日乾元 けんげん と改む 〔出典〕『周書』の「居正安其身」によるという 〔勘申者〕菅原在嗣(正 しょう 二位) 〔当代の主要事件〕元年『一遍上人 いっぺんしょうにん 絵伝』成る 3年北条師時 もろとき 執権となる 承安 しょうあん 〔相当西暦年〕1171~1175(平安時代) 〔天皇〕高倉 たかくら 〔改元理由〕災変、厄会による 〔改元年月日〕嘉応 かおう 3年(1171)4月21日承安と改元、承安5年(1175)7月28日安元 あんげん と改む 〔出典〕『書経』洛誥 らくこう の「王命予来、承安汝文祖徳」の正義「承文王之意、安定此民也」による 〔勘申者〕藤原資長(権中納言 ごんちゅうなごん ) 〔当代の主要事件〕2年藤原基房 もとふさ 関白となる 3年法皇が平清盛 きよもり に宋 そう への返書を命ず、清盛兵庫島を築く 貞永 じょうえい/ていえい 〔相当西暦年〕1232~1233(鎌倉時代) 〔天皇〕後堀河 ごほりかわ 、四条 しじょう 〔改元理由〕天変、地妖 ちよう 、飢饉 ききん による 〔改元年月日〕寛喜 かんき 4年(1232)4月2日貞永と改元、貞永2年(1233)4月15日天福 てんぷく と改む 〔出典〕『易経』坤卦 こんか の注疏 ちゅうそ 「利在永貞、永長也、貞正也、言能貞正也」による 〔勘申者〕菅原為長(式部大輔 たいふ ) 〔当代の主要事件〕元年御成敗式目 ごせいばいしきもく を制定 2年京都に猿楽 さるがく 流行 正応 しょうおう 〔相当西暦年〕1288~1293(鎌倉時代) 〔天皇〕伏見 ふしみ 〔改元理由〕即位による 〔改元年月日〕弘安 こうあん 11年(1288)4月28日正応と改元、正応6年(1293)8月5日永仁 えいにん と改む 〔出典〕『毛詩 もうし 注』の「徳正応利」によるという 〔勘申者〕菅原在嗣(大蔵卿 おおくらきょう ) 〔当代の主要事件〕2年久明 ひさあき 親王将軍となる 6年鎮西 ちんぜい 探題を置く 承応 じょうおう/しょうおう 〔相当西暦年〕1652~1655(江戸時代) 〔天皇〕後光明 ごこうみょう 、後西 ごさい 〔改元理由〕不明 〔改元年月日〕慶安 けいあん 5年(1652)9月18日承応と改元、承応4年(1655)4月13日明暦 めいれき と改む 〔出典〕『晋書 しんじょ 』巻17律歴志の「夏殷承運、周氏応期」による 〔勘申者〕菅原知長(文章博士 もんじょうはかせ ) 〔当代の主要事件〕元年承応事件、江戸市中浪人調査 2年佐倉惣五郎一揆 さくらそうごろういっき 起こる 3年キリシタン禁制の高札を立てる、玉川上水完成 貞応 じょうおう 〔相当西暦年〕1222~1224(鎌倉時代) 〔天皇〕後堀河 ごほりかわ 〔改元理由〕即位による 〔改元年月日〕承久 じょうきゅう 4年(1222)4月13日貞応と改元、貞応3年(1224)11月20日元仁 げんにん と改む 〔出典〕『易経』彖 たん 下の「中孚以利貞、乃応乎天也」による 〔勘申者〕菅原為長(大蔵卿 おおくらきょう ・式部大輔 たいふ ) 〔当代の主要事件〕元年守護・地頭制を強化 2年新補地頭の不法をただす、道元入宋 にっそう 、新補地頭の得分率法を定める 3年北条泰時 やすとき 執権となる、北条時房 ときふさ 連署となり連署制始まる 正嘉 しょうか 〔相当西暦年〕1257~1259(鎌倉時代) 〔天皇〕後深草 ごふかくさ 〔改元理由〕太政官 だいじょうかん 庁・五条殿の焼失による 〔改元年月日〕康元 こうげん 2年(1257)3月14日正嘉と改元、正嘉3年(1259)3月26日正元 しょうげん と改む 〔出典〕『芸文類聚 げいもんるいじゅう 』巻4の「肇元正之嘉会」による 〔勘申者〕菅原在章(文章博士 もんじょうはかせ ) 〔当代の主要事件〕元年園城 おんじょう 寺衆徒強訴 ごうそ 2年諸国に群盗起こる 3年山野河海の領有法を定む 貞観 じょうがん 〔相当西暦年〕859~877(平安時代) 〔天皇〕清和 せいわ 、陽成 ようぜい 〔改元理由〕清和天皇の即位による 〔改元年月日〕天安 てんあん 3年(859)4月15日貞観と改元、貞観19年(877)4月16日元慶 がんぎょう と改む 〔出典〕『易経』繋辞 けいじ の「天地之道、貞観者也」による 〔勘申者〕不明 〔当代の主要事件〕8年応天門の変 11年貞観格 じょうがんきゃく 成る、『続 しょく 日本後紀』成る 13年越前 えちぜん 国の百姓が国司弘宗 ひろむね 王の苛政 かせい を訴える 承久 じょうきゅう/しょうきゅう 〔相当西暦年〕1219~1222(鎌倉時代) 〔天皇〕順徳 じゅんとく 、仲恭 ちゅうきょう 、後堀河 ごほりかわ 〔改元理由〕天変、旱害 かんがい 、三合後年厄による 〔改元年月日〕建保 けんぽう 7年(1219)4月12日承久と改元、承久4年(1222)4月13日貞応 じょうおう と改む 〔出典〕『詩緯 しい 』の「周起自后稷、歴世相承久」によるという 〔勘申者〕菅原為長(大蔵卿 おおくらきょう ) 〔当代の主要事件〕2年『愚管抄 ぐかんしょう 』成る 3年承久の乱起こる、幕府軍入京、六波羅 ろくはら 探題を置く 貞享 じょうきょう 〔相当西暦年〕1684~1688(江戸時代) 〔天皇〕霊元 れいげん 、東山 ひがしやま 〔改元理由〕甲子 かっし 革令による 〔改元年月日〕天和 てんな 4年(1684)2月21日貞享と改元、貞享5年(1688)9月30日元禄 げんろく と改む 〔出典〕『易経』益卦 えきか の「永貞吉、王用享于帝吉」による 〔勘申者〕菅原恒長(正二位) 〔当代の主要事件〕元年江戸市中に出版取締令公布、大老堀田正俊 まさとし 江戸城内にて刺殺される、新暦(貞享暦)を用いる 4年生類憐 しょうるいあわれ みの令出す 正慶 しょうけい/しょうきょう 〔相当西暦年〕1332~1333(南北朝時代) 〔天皇〕【北朝】光厳 こうごん 〔改元理由〕即位による 〔改元年月日〕元弘 げんこう 2年(1332)4月28日正慶と改元、正慶2年(1333)5月廃止(元弘3年に復す) 〔出典〕『易経』益卦 えきか の注「以中正有慶之徳、有攸往也、何適而不利哉」による 〔勘申者〕菅原公時(大蔵卿 おおくらきょう )、菅原長員(式部大輔 たいふ ) 〔当代の主要事件〕元年護良 もりよし 親王吉野に挙兵 2年六波羅 ろくはら 探題陥る、後醍醐 ごだいご 天皇帰京、光厳天皇下の関白以下を解官 正元 しょうげん 〔相当西暦年〕1259~1260(鎌倉時代) 〔天皇〕後深草 ごふかくさ 、亀山 かめやま 〔改元理由〕飢饉 ききん 、疾疫による 〔改元年月日〕正嘉 しょうか 3年(1259)3月26日正元と改元、正元2年(1260)4月13日文応 ぶんおう と改む 〔出典〕『詩緯 しい 』の「一如正元、万載相伝」によるという 〔勘申者〕菅原公良(式部大輔 たいふ ) 〔当代の主要事件〕元年諸国に飢饉、疾病、餓死者多し 承元 じょうげん 〔相当西暦年〕1207~1211(鎌倉時代) 〔天皇〕土御門 つちみかど 、順徳 じゅんとく 〔改元理由〕疱瘡 ほうそう の流行、洪水による 〔改元年月日〕建永 けんえい 2年(1207)10月25日承元と改元、承元5年(1211)3月9日建暦 けんりゃく と改む 〔出典〕『通典』巻55の「古者祭以酉時、薦以仲月、近代相承、元日奏祥瑞」による 〔勘申者〕藤原資実(権中納言 ごんちゅうなごん ) 〔当代の主要事件〕2年幕府問注所 もんちゅうじょ 焼失 4年武蔵 むさし 国大田文 おおたぶみ 成る 貞元 じょうげん 〔相当西暦年〕976~978(平安時代) 〔天皇〕円融 えんゆう 〔改元理由〕火災、地震による 〔改元年月日〕天延 てんえん 4年(976)7月13日貞元と改元、貞元3年(978)11月29日天元 てんげん と改む 〔出典〕不明、『文選 もんぜん 』巻3思玄賦 しげんのふ に「乃貞吉之元符」とある 〔勘申者〕不明 〔当代の主要事件〕2年摂関家の内訌 ないこう 、藤原頼忠 よりただ 関白となる 3年備前 びぜん 介橘時望 たちばなときもち 海賊に殺される 正治 しょうじ 〔相当西暦年〕1199~1201(鎌倉時代) 〔天皇〕土御門 つちみかど 〔改元理由〕即位による 〔改元年月日〕建久 けんきゅう 10年(1199)4月27日正治と改元、正治3年(1201)2月13日建仁 けんにん と改む 〔出典〕『荘子 そうじ 』雑篇・漁父の「天子、諸侯、大夫、庶人、此四者自正、治之美也」による 〔勘申者〕菅原在茂(文章博士 もんじょうはかせ ) 〔当代の主要事件〕元年東大寺南大門成る 2年念仏宗を禁止 貞治 じょうじ 〔相当西暦年〕1362~1368(南北朝時代) 〔天皇〕【北朝】後光厳 ごこうごん 〔改元理由〕兵革、天変、地震、疫病の流行による 〔改元年月日〕康安 こうあん 2年(1362)9月23日貞治と改元、貞治7年(1368)2月18日応安 おうあん と改む 〔出典〕『易経』象 しょう 下の「利武人之貞、志治也」による 〔勘申者〕藤原忠光(左大弁) 〔当代の主要事件〕2年上杉憲顕 のりあき 関東管領 かんれい となる、大内弘世 ひろよ ・山名時氏 ときうじ が幕府に降伏 3年倭寇 わこう が高麗 こうらい をしばしば侵す 6年細川頼之 よりゆき 幕府執事となる 昌泰 しょうたい 〔相当西暦年〕898~901(平安時代) 〔天皇〕醍醐 だいご 〔改元理由〕即位による 〔改元年月日〕寛平 かんぴょう 10年(898)4月26日昌泰と改元、昌泰4年(901)7月15日延喜 えんぎ と改む 〔出典〕不明、『旧唐書 くとうじょ 』巻30に「営営聖祖興、赫赫昌基泰」とある 〔勘申者〕不明 〔当代の主要事件〕2年相模 さがみ 国足柄 あしがら ・上野 こうずけ 国碓氷 うすい の関を置く 3年三善清行 みよしきよゆき 革命勘文 かんもん を奏上 4年菅原道真 すがわらのみちざね 左遷 正中 しょうちゅう 〔相当西暦年〕1324~1326(鎌倉時代) 〔天皇〕後醍醐 ごだいご 〔改元理由〕甲子 かっし 革令による 〔改元年月日〕元亨 げんこう 4年(1324)12月9日正中と改元、正中3年(1326)4月26日嘉暦 かりゃく と改む 〔出典〕『易経』文言伝の「見龍在田利見大人、何謂也、子曰、龍徳而正中者也、又曰、需有孚、元亨、貞吉位乎天位、以正中也」による 〔勘申者〕藤原有正(文章博士 もんじょうはかせ ) 〔当代の主要事件〕2年建長寺船を元 げん に遣わす、『続後拾遺 しょくごしゅうい 和歌集』成る 正長 しょうちょう 〔相当西暦年〕1428~1429(室町時代) 〔天皇〕称光 しょうこう 、後花園 ごはなぞの 〔改元理由〕不明 〔改元年月日〕応永 おうえい 35年(1428)4月27日正長と改元、正長2年(1429)9月5日永享 えいきょう と改む 〔出典〕『礼記 らいき 正義』の「在位之君子、威儀不差 、可以正長是四方之国」による 〔勘申者〕菅原在直(式部大輔 たいふ ) 〔当代の主要事件〕元年正長の土一揆 つちいっき 起こる 2年足利義教 あしかがよしのり 将軍となる 正徳 しょうとく 〔相当西暦年〕1711~1716(江戸時代) 〔天皇〕中御門 なかみかど 〔改元理由〕即位による 〔改元年月日〕宝永 ほうえい 8年(1711)4月25日正徳と改元、正徳6年(1716)6月22日享保 きょうほう と改む 〔出典〕『書経』大禹謨 たいうぼ の「正徳利用、厚生惟和」によるという 〔勘申者〕菅原総長(文章博士 もんじょうはかせ ) 〔当代の主要事件〕3年徳川家継 いえつぐ 将軍となる 5年長崎貿易の正徳新令出る 6年間部詮房 まなべあきふさ ・新井白石 あらいはくせき ら罷免 承徳 じょうとく/しょうとく 〔相当西暦年〕1097~1099(平安時代) 〔天皇〕堀河 ほりかわ 〔改元理由〕天変、地震による 〔改元年月日〕永長 えいちょう 2年(1097)11月21日承徳と改元、承徳3年(1099)8月28日康和 こうわ と改む 〔出典〕『易経』蠱卦 こか の「幹父之蠱、用誉承以徳也」によるという 〔勘申者〕藤原敦基(文章博士 もんじょうはかせ ) 〔当代の主要事件〕元年平正盛 まさもり 私領を六条院に寄進 2年源義家 よしいえ に院昇殿を許す 3年仁和寺宮覚行 にんなじのみやかくぎょう を親王とする(法親王の初例) 正平 しょうへい 〔相当西暦年〕1346~1370(南北朝時代) 〔天皇〕【南朝】後村上 ごむらかみ 、長慶 ちょうけい 〔改元理由〕不明 〔改元年月日〕興国 こうこく 7年(1346)12月8日正平と改元、正平25年(1370)7月24日建徳 けんとく と改む 〔出典〕不明、『宋書 そうじょ 』巻29に「華平其枝正平、王者有徳則生」とある 〔勘申者〕不明 〔当代の主要事件〕3年楠木正行 くすのきまさつら 敗死 6年足利尊氏 あしかがたかうじ ・義詮 よしあきら 父子南朝に降伏 19年『新拾遺 しんしゅうい 和歌集』成る 承平 じょうへい/しょうへい 〔相当西暦年〕931~938(平安時代) 〔天皇〕朱雀 すざく 〔改元理由〕即位による 〔改元年月日〕延長 えんちょう 9年(931)4月26日承平と改元、承平8年(938)5月22日天慶 てんぎょう と改む 〔出典〕『漢書 かんじょ 』巻24食貨志の「今累世承平、豪富吏民、 数鉅万」による 〔勘申者〕大江維時(文章博士 もんじょうはかせ )、大江朝綱(大内記) 〔当代の主要事件〕3年南海諸国に警固使を置く 5年平将門 まさかど の乱起こる、『土佐日記』成る 7年高麗 こうらい との交渉始まる 正保 しょうほう 〔相当西暦年〕1644~1648(江戸時代) 〔天皇〕後光明 ごこうみょう 〔改元理由〕即位による 〔改元年月日〕寛永 かんえい 21年(1644)12月16日正保と改元、正保5年(1648)2月15日慶安 けいあん と改む 〔出典〕『尚書正義』の「正保衡、佐我烈祖格于皇天」による 〔勘申者〕菅原知長(文章博士 もんじょうはかせ ) 〔当代の主要事件〕元年郷村高帳・国郡諸城図を作成させる 2年赤穂 あこう 藩塩田開発を始める 4年ポルトガル船長崎に来航、通商を求めたが、幕府拒絶 承保 じょうほう/しょうほう 〔相当西暦年〕1074~1077(平安時代) 〔天皇〕白河 しらかわ 〔改元理由〕即位、三合厄による 〔改元年月日〕延久 えんきゅう 6年(1074)8月23日承保と改元、承保4年(1077)11月17日承暦 じょうりゃく と改む 〔出典〕『書経』周書・洛誥 らくこう の「承保乃文祖受命民」による 〔勘申者〕藤原正家(文章博士 もんじょうはかせ ) 〔当代の主要事件〕2年藤原師実 もろざね 関白となる 3年石清水八幡宮 いわしみずはちまんぐう に行幸 正暦 しょうりゃく 〔相当西暦年〕990~995(平安時代) 〔天皇〕一条 いちじょう 〔改元理由〕大風、天変による 〔改元年月日〕永祚 えいそ 2年(990)11月7日正暦と改元、正暦6年(995)2月22日長徳 ちょうとく と改む 〔出典〕不明、『史記』巻26に「新垣平以望気見、頗言正暦服色事」とある 〔勘申者〕不明 〔当代の主要事件〕4年藤原道隆 みちたか 摂政 せっしょう を退く、菅原道真 すがわらのみちざね に太政 だいじょう 大臣を追贈する 承暦 じょうりゃく/しょうりゃく 〔相当西暦年〕1077~1081(平安時代) 〔天皇〕白河 しらかわ 〔改元理由〕旱魃 かんばつ 、疱瘡 ほうそう の流行による 〔改元年月日〕承保 じょうほう 4年(1077)11月17日承暦と改元、承暦5年(1081)2月10日永保 えいほう と改む 〔出典〕『維城典訓』の「聖人者以懿徳永承暦、崇高則天、博厚儀地」によるという 〔勘申者〕藤原実綱(式部大輔 たいふ )、藤原正家(文章博士 もんじょうはかせ ) 〔当代の主要事件〕2年石山寺焼失 3年京都大火、源重宗が源国房と戦う 正和 しょうわ 〔相当西暦年〕1312~1317(鎌倉時代) 〔天皇〕花園 はなぞの 〔改元理由〕天変、地震による 〔改元年月日〕応長 おうちょう 2年(1312)3月20日正和と改元、正和6年(1317)2月3日文保 ぶんぽう と改む 〔出典〕『唐紀』の「皇帝受朝奏正和」によるという 〔勘申者〕菅原在輔(文章博士 もんじょうはかせ ) 〔当代の主要事件〕元年『玉葉 ぎょくよう 和歌集』成る 3年幕府大和 やまと に地頭を置く 4年北条基時 もととき 執権となる、京極為兼 きょうごくためかね 土佐に配流 昭和 しょうわ 〔相当西暦年〕1926~1989(昭和時代) 〔天皇〕昭和 〔改元理由〕大正天皇の崩御、裕仁 ひろひと 親王の践祚 せんそ による 〔改元年月日〕大正15年(1926)12月25日昭和と改元、昭和64年(1989)1月8日平成 へいせい と改む 〔出典〕『書経』堯典の「百姓昭明、協和万邦」、『史記』五帝本紀の「百姓昭明、合和万国」による 〔勘申者〕不明 〔当代の主要事件〕2年金融恐慌始まる 6年満州事変 8年国際連盟より脱退 12年日中戦争開始 16年太平洋戦争開始 20年広島・長崎に原子爆弾投下される、ポツダム宣言受諾 22年日本国憲法施行 39年東京オリンピック 承和 じょうわ/しょうわ 〔相当西暦年〕834~848(平安時代) 〔天皇〕仁明 にんみょう 〔改元理由〕即位による 〔改元年月日〕天長 てんちょう 11年(834)1月3日承和と改元、承和15年(848)6月13日嘉祥 かしょう と改む 〔出典〕不明、『白虎通 びゃっこつう 』巻3に「王者承統理、調和陰陽」とある 〔勘申者〕不明 〔当代の主要事件〕元年検非違使 けびいし 別当を新設、『令義解 りょうのぎげ 』を施行 4年奥羽百姓騒乱 8年『日本後紀』成る 9年承和の変 10年文室宮田麻呂 ふんやのみやたまろ 謀反 14年円仁 えんにん 帰国 貞和 じょうわ/ていわ 〔相当西暦年〕1345~1350(南北朝時代) 〔天皇〕【北朝】光明 こうみょう 、崇光 すこう 〔改元理由〕天変、水害、疾疫による 〔改元年月日〕康永 こうえい 4年(1345)10月21日貞和と改元、貞和6年(1350)2月27日観応 かんのう と改む 〔出典〕『芸文類聚 げいもんるいじゅう 』帝王部の「体乾霊之休徳、稟貞和之純精」による 〔勘申者〕菅原在成(勘解由 かげゆ 長官) 〔当代の主要事件〕2年『風雅和歌集』成る 4年楠木正行 くすのきまさつら 敗死、吉野行宮 あんぐう 陥る 5年高師世 こうのもろよ 幕府執事となる、高師直 もろなお 幕府執事となる、足利基氏 あしかがもとうじ 鎌倉公方 くぼう となる 治暦 じりゃく 〔相当西暦年〕1065~1069(平安時代) 〔天皇〕後冷泉 ごれいぜい 、後三条 ごさんじょう 〔改元理由〕旱魃 かんばつ 、三合厄による 〔改元年月日〕康平 こうへい 8年(1065)8月2日治暦と改元、治暦5年(1069)4月13日延久 えんきゅう と改む 〔出典〕『尚書正義』の「君子以治暦明時、然則改正治暦自武王始矣」による 〔勘申者〕藤原実綱(式部大輔 たいふ ) 〔当代の主要事件〕元年新立荘園 しょうえん を禁止(治暦の荘園整理令) 3年日吉 ひえ 社焼失 4年二条内裏 だいり 焼亡 5年新立荘園をふたたび禁止 神亀 じんき 〔相当西暦年〕724~729(奈良時代) 〔天皇〕聖武 しょうむ 〔改元理由〕白亀を献上された祥瑞 しょうずい による 〔改元年月日〕養老 ようろう 8年(724)2月4日神亀と改元、神亀6年(729)8月5日天平 てんぴょう と改む 〔出典〕不明、『大戴礼 だたいれい 』巻13に「有甲之蟲三百六十、而神亀為之長」とある 〔勘申者〕不明 〔当代の主要事件〕元年多賀 たが 城を築く 4年渤海 ぼっかい 使入京 5年諸国に「金光明 こんこうみょう 経」を頒布 はんぷ 6年長屋王の変 神護景雲 じんごけいうん 〔相当西暦年〕767~770(奈良時代) 〔天皇〕称徳 しょうとく 〔改元理由〕慶雲の祥瑞 しょうずい による 〔改元年月日〕天平神護 てんぴょうじんご 3年(767)8月16日神護景雲と改元、神護景雲4年(770)10月1日宝亀 ほうき と改む 〔出典〕不明 〔勘申者〕不明 〔当代の主要事件〕2年春日 かすが 社成る 3年和気清麻呂 わけのきよまろ 宇佐八幡 はちまん の神託を奏上する 4年道鏡下野 しもつけ 薬師寺別当に左遷 〔た行〕 大永 たいえい/だいえい 〔相当西暦年〕1521~1528(室町時代) 〔天皇〕後柏原 ごかしわばら 、後奈良 ごなら 〔改元理由〕兵革、天変による 〔改元年月日〕永正 えいしょう 18年(1521)8月23日大永と改元、大永8年(1528)8月20日享禄 きょうろく と改む 〔出典〕『杜氏 とし 通典』の「庶務至微、至密、其大則以永業」によるという 〔勘申者〕菅原為学(参議) 〔当代の主要事件〕元年足利義晴 あしかがよしはる 将軍となる 3年毛利元就 もとなり 家を継ぐ 6年今川氏親 うじちか 家法「仮名目録 かなもくろく 」を制定 大化 たいか 〔相当西暦年〕645~650(飛鳥 あすか 時代) 〔天皇〕孝徳 こうとく 〔改元理由〕天下安寧、政化敷行による 〔改元年月日〕孝徳天皇4年(645)6月19日大化と改元、大化6年(650)2月15日白雉 はくち と改む 〔出典〕不明、『漢書 かんじょ 』巻56に「古者修教訓之官務以徳善化民、已大化之後天下常亡一人之獄矣」、『宋書 そうじょ 』巻20に「神武鷹揚、大化咸煕」とある 〔勘申者〕不明 〔当代の主要事件〕元年東国などの国司に戸籍の作成、田の調査を命じる、難波 なにわ 京に移る 2年大化改新の詔、薄葬令 大治 だいじ 〔相当西暦年〕1126~1131(平安時代) 〔天皇〕崇徳 すとく 〔改元理由〕疱瘡 ほうそう の流行による 〔改元年月日〕天治 てんじ 3年(1126)1月22日大治と改元、大治6年(1131)1月29日天承 てんしょう と改む 〔出典〕『河図挺佐輔 かとていさほ 』の「黄帝修徳立義、天下大治」による 〔勘申者〕藤原敦光(式部大輔 たいふ ) 〔当代の主要事件〕2年寛徳 かんとく 以後新立の荘園 しょうえん 停止を再令し、公民の荘園流入を禁止、『金葉和歌集』成る 4年鳥羽 とば 院政始まる 大正 たいしょう 〔相当西暦年〕1912~1926(大正時代) 〔天皇〕大正 〔改元理由〕即位による 〔改元年月日〕明治 めいじ 45年(1912)7月30日大正と改元、大正15年(1926)12月25日昭和 しょうわ と改む 〔出典〕『易経』臨卦 りんか 、彖 たん 伝の「大亨以正、天之命也」などによる 〔勘申者〕不明 〔当代の主要事件〕元年憲政擁護運動おこる 2年大正政変 3年シーメンス事件、対独宣戦布告 4年対華二十一か条要求 6年シベリア出兵宣言、米騒動勃発 ぼっぱつ 、原敬 たかし 内閣成立 12年関東大震災 14年治安維持法公布、普通選挙法公布 大同 だいどう 〔相当西暦年〕806~810(平安時代) 〔天皇〕平城 へいぜい 、嵯峨 さが 〔改元理由〕平城天皇の即位による 〔改元年月日〕延暦 えんりゃく 25年(806)5月18日大同と改元、大同5年(810)9月19日弘仁 こうにん と改む 〔出典〕不明、『書経』洪範に「汝則従、亀従筮従、卿士従、庶民従、是之謂大同」、『礼記 らいき 』礼運に「是故謀閉而不興、盗竊乱賊而不作、故外戸而不閉、是謂大同」とある 〔勘申者〕不明 〔当代の主要事件〕元年空海帰朝 2年『古語拾遺 しゅうい 』成る 5年蔵人 くろうど 所を新設、薬子 くすこ の乱 大宝 たいほう/だいほう 〔相当西暦年〕701~704(飛鳥 あすか 時代) 〔天皇〕文武 もんむ 〔改元理由〕対馬 つしま 国から金が献上されたことによる 〔改元年月日〕文武天皇5年(701)3月21日大宝と改元、大宝4年(704)5月10日慶雲 きょううん と改む 〔出典〕不明、『易経』繋辞 けいじ 下に「天地之大徳曰生、聖人之大宝曰位」とある 〔勘申者〕不明 〔当代の主要事件〕元年大宝律令 りつりょう を撰定 せんてい 2年大宝律令を施行、諸国に度量器を頒布 はんぷ 、遣唐使粟田真人 あわたのまひと ・高橋笠間 かさま らを派遣 長寛 ちょうかん 〔相当西暦年〕1163~1165(平安時代) 〔天皇〕二条 にじょう 〔改元理由〕天変、疱瘡 ほうそう による 〔改元年月日〕応保 おうほう 3年(1163)3月29日長寛と改元、長寛3年(1165)6月5日永万 えいまん と改む 〔出典〕『維城典訓』の「長之寛之、施其功博矣」によるという 〔勘申者〕藤原範兼(刑部卿 ぎょうぶきょう ) 〔当代の主要事件〕元年伊勢 いせ 神宮・熊野権現 ごんげん につき長寛勘文出さる、延暦 えんりゃく 寺僧徒が園城 おんじょう 寺を焼く 2年平清盛 きよもり 蓮華王 れんげおう 院(三十三間堂)を造進 長久 ちょうきゅう 〔相当西暦年〕1040~1044(平安時代) 〔天皇〕後朱雀 ごすざく 〔改元理由〕災変、内裏 だいり 焼失による 〔改元年月日〕長暦 ちょうりゃく 4年(1040)11月10日長久と改元、長久5年(1044)11月24日寛徳 かんとく と改む 〔出典〕『老子』第7章の「天長地久」による 〔勘申者〕大江挙周(式部権大輔 ごんのたいふ )、藤原資業(式部大輔) 〔当代の主要事件〕3年内裏焼亡 長享 ちょうきょう 〔相当西暦年〕1487~1489(室町時代) 〔天皇〕後土御門 ごつちみかど 〔改元理由〕外宮炎上、疫疾、兵革による 〔改元年月日〕文明 ぶんめい 19年(1487)7月20日長享と改元、長享3年(1489)8月21日延徳 えんとく と改む 〔出典〕『文選 もんぜん 』巻9の「喜得全功、長享其福」による 〔勘申者〕菅原在数(文章博士 もんじょうはかせ ) 〔当代の主要事件〕元年細川政元 まさもと 管領 かんれい となる、加賀に一向一揆 いっこういっき 起こる 2年富樫政親 とがしまさちか 敗死 長元 ちょうげん 〔相当西暦年〕1028~1037(平安時代) 〔天皇〕後一条 ごいちじょう 、後朱雀 ごすざく 〔改元理由〕疫病、炎旱 えんかん による 〔改元年月日〕万寿 まんじゅ 5年(1028)7月25日長元と改元、長元10年(1037)4月21日長暦 ちょうりゃく と改む 〔出典〕『太公六韜 りくとう 』の「天之為天、元為天長矣、地久矣、長久在其元、万物在其間、各得自利、謂之泰平」によるという 〔勘申者〕三善為政(文章博士 もんじょうはかせ ) 〔当代の主要事件〕8年延暦 えんりゃく 寺・園城 おんじょう 寺僧徒の闘争始まる 9年近江 おうみ の百姓ら国司を訴う 長治 ちょうじ 〔相当西暦年〕1104~1106(平安時代) 〔天皇〕堀河 ほりかわ 〔改元理由〕天変による 〔改元年月日〕康和 こうわ 6年(1104)2月10日長治と改元、長治3年(1106)4月9日嘉承 かしょう と改む 〔出典〕『漢書 かんじょ 』巻48賈誼 かぎ 伝の「建久安之勢、成長治之業」による 〔勘申者〕菅原在良(文章博士 もんじょうはかせ )、藤原俊信(文章博士) 〔当代の主要事件〕元年石清水八幡宮 いわしみずはちまんぐう 寺衆徒の強訴、延暦 えんりゃく 寺・園城 おんじょう 寺の闘争激化 2年藤原忠実 ただざね 関白となる 長承 ちょうしょう 〔相当西暦年〕1132~1135(平安時代) 〔天皇〕崇徳 すとく 〔改元理由〕疾疫、怪異による 〔改元年月日〕天承 てんしょう 2年(1132)8月11日長承と改元、長承4年(1135)4月27日保延 ほうえん と改む 〔出典〕『史記』巻6の「長承聖治、群臣嘉徳」による 〔勘申者〕藤原敦光(式部大輔 たいふ ) 〔当代の主要事件〕元年上皇高野山 こうやさん に参詣 さんけい 2年平忠盛 ただもり 宋 そう 商船の貨物を没収 長徳 ちょうとく 〔相当西暦年〕995~999(平安時代) 〔天皇〕一条 いちじょう 〔改元理由〕疾疫、天変による 〔改元年月日〕正暦 しょうりゃく 6年(995)2月22日長徳と改元、長徳5年(999)1月13日長保 ちょうほう と改む 〔出典〕揚雄 ようゆう の文「唐虞長徳、而四海永懐」によるという 〔勘申者〕大江維時(中納言 ちゅうなごん ) 〔当代の主要事件〕元年藤原道長 みちなが と藤原伊周 これちか 論争 3年南蛮人壱岐 いき ・対馬 つしま に乱入 長保 ちょうほう 〔相当西暦年〕999~1004(平安時代) 〔天皇〕一条 いちじょう 〔改元理由〕天変、炎旱 えんかん による 〔改元年月日〕長徳 ちょうとく 5年(999)1月13日長保と改元、長保6年(1004)7月20日寛弘 かんこう と改む 〔出典〕『国語』周語の「若本固而功成、施 而民阜、乃可以長保民矣」による 〔勘申者〕大江匡衡 〔当代の主要事件〕元年淡路 あわじ の百姓が国守を訴え解任させる、藤原道長 みちなが の女彰子 しょうし 入内 4年『政事要略』成る 5年宇佐宮神人 じにん が権帥 ごんのそつ 平惟仲 これなか を訴える 長暦 ちょうりゃく 〔相当西暦年〕1037~1040(平安時代) 〔天皇〕後朱雀 ごすざく 〔改元理由〕即位による 〔改元年月日〕長元 ちょうげん 10年(1037)4月21日長暦と改元、長暦4年(1040)11月10日長久 ちょうきゅう と改む 〔出典〕不明、『晋書 しんじょ 』巻34杜預 どよ 伝に「作盟会図・春秋長暦、備成一家之学」とある 〔勘申者〕藤原義忠(大学頭 かみ ) 〔当代の主要事件〕2年延暦 えんりゃく 寺僧強訴 4年荘園 しょうえん 停止令 長禄 ちょうろく 〔相当西暦年〕1457~1460(室町時代) 〔天皇〕後花園 ごはなぞの 〔改元理由〕病患、炎旱 えんかん による 〔改元年月日〕康正 こうしょう 3年(1457)9月28日長禄と改元、長禄4年(1460)12月21日寛正 かんしょう と改む 〔出典〕『韓非子 かんぴし 』巻6解老の「其建生也長、持禄也久」による 〔勘申者〕菅原継長(文章博士 もんじょうはかせ ) 〔当代の主要事件〕元年足利義政 あしかがよしまさ が弟政知 まさとも を伊豆堀越に派遣 3年京都七口に新関を設置 長和 ちょうわ 〔相当西暦年〕1012~1017(平安時代) 〔天皇〕三条 さんじょう 、後一条 ごいちじょう 〔改元理由〕三条天皇の即位による 〔改元年月日〕寛弘 かんこう 9年(1012)12月25日長和と改元、長和6年(1017)4月23日寛仁 かんにん と改む 〔出典〕『礼記 らいき 』冠義の「君臣正、父子親、長幼和、而后礼義立」による 〔勘申者〕菅原宣義(文章博士 もんじょうはかせ )、大江通直(文章博士) 〔当代の主要事件〕5年藤原道長摂政 せっしょう となる、京都大火 6年藤原頼通 よりみち 摂政となる 天安 てんあん/てんなん 〔相当西暦年〕857~859(平安時代) 〔天皇〕文徳 もんとく 、清和 せいわ 〔改元理由〕美作 みまさか ・常陸 ひたち 両国より白鹿、連理の樹が献上された祥瑞 しょうずい による 〔改元年月日〕斉衡 さいこう 4年(857)2月21日天安と改元、天安3年(859)4月15日貞観 じょうがん と改む 〔出典〕不明、『礼記 らいき 』郷飲酒義に「此五行者足以正身安国矣、彼国安而天下安」、『史記』巻4に「天下安寧」とある 〔勘申者〕不明 〔当代の主要事件〕2年円珍 えんちん 帰国、藤原良房 よしふさ 万機を摂行 せっこう 天永 てんえい 〔相当西暦年〕1110~1113(平安時代) 〔天皇〕鳥羽 とば 〔改元理由〕彗星 すいせい の出現による 〔改元年月日〕天仁 てんにん 3年(1110)7月13日天永と改元、天永4年(1113)7月13日永久 えいきゅう と改む 〔出典〕『書経』召誥 しょうこう の「欲王以小民受天永命」による 〔勘申者〕大江匡房 〔当代の主要事件〕2年荘園 しょうえん 記録所事始 天延 てんえん 〔相当西暦年〕973~976(平安時代) 〔天皇〕円融 えんゆう 〔改元理由〕天変、地震による 〔改元年月日〕天禄 てんろく 4年(973)12月20日天延と改元、天延4年(976)7月13日貞元 じょうげん と改む 〔出典〕不明、『芸文類聚 げいもんるいじゅう 』巻13に「志所存皇雖殪没天禄永延」とある 〔勘申者〕不明 〔当代の主要事件〕2年尾張 おわり 国百姓の訴えで国守交代 3年検牧使を諸国に派遣し牧馬を調査 天応 てんおう/てんのう 〔相当西暦年〕781~782(奈良時代) 〔天皇〕光仁 こうにん 、桓武 かんむ 〔改元理由〕美雲の祥瑞 しょうずい による 〔改元年月日〕宝亀 ほうき 12年(781)1月1日天応と改元、天応2年(782)8月19日延暦 えんりゃく と改む 〔出典〕不明、『易経』彖 たん 下伝に「湯武革命順乎天、而応乎人、革之時大矣哉」とある 〔勘申者〕不明 〔当代の主要事件〕2年氷上川継 ひかみのかわつぐ 謀反、二省二司を廃止する 天喜 てんき/てんぎ 〔相当西暦年〕1053~1058(平安時代) 〔天皇〕後冷泉 ごれいぜい 〔改元理由〕天変、怪異による 〔改元年月日〕永承 えいしょう 8年(1053)1月11日天喜と改元、天喜6年(1058)8月29日康平 こうへい と改む 〔出典〕『抱朴子 ほうぼくし 』の「人主有道、則嘉祥並臻、此則天喜也」によるという 〔勘申者〕平定親(文章博士 もんじょうはかせ ) 〔当代の主要事件〕元年平等院阿彌陀 あみだ 堂成る 3年寛徳 かんとく 2年以後の新立荘園 しょうえん を停止 4年源頼義 よりよし 陸奥守 むつのかみ 征夷 せいい 大将軍 6年『更級 さらしな 日記』成る 天慶 てんぎょう/てんきょう 〔相当西暦年〕938~947(平安時代) 〔天皇〕朱雀 すざく 、村上 むらかみ 〔改元理由〕厄運、地震、御慎による 〔改元年月日〕承平 じょうへい 8年(938)5月22日天慶と改元、天慶10年(947)4月22日天暦 てんりゃく と改む 〔出典〕『漢書 かんじょ 』巻58児寛 げいかん 伝の「金声而玉振之、以順成天慶、垂万世之基」による 〔勘申者〕大江朝綱(文章博士 もんじょうはかせ )、大江維時(式部少輔 しょう ) 〔当代の主要事件〕2年出羽 でわ 俘囚 ふしゅう の乱、平将門 まさかど 新皇と自称、藤原純友 すみとも の乱 3年平将門・興世 おきよ 王ら藤原秀郷 ひでさと らに敗北、『将門 しょうもん 記』成る 4年藤原純友敗北 天元 てんげん 〔相当西暦年〕978~983(平安時代) 〔天皇〕円融 えんゆう 〔改元理由〕災変、陽五厄による 〔改元年月日〕貞元 じょうげん 3年(978)11月29日天元と改元、天元6年(983)4月15日永観 えいかん と改む 〔出典〕不明、『史記』巻26に「王者易姓、受命、必慎始初、改正朔、易服色、推本天元、順承厥意」とある 〔勘申者〕不明 〔当代の主要事件〕3年近江 おうみ の俘囚 ふしゅう ら上京して愁訴 しゅうそ 5年『池亭記 ちていき 』成る 天治 てんじ 〔相当西暦年〕1124~1126(平安時代) 〔天皇〕崇徳 すとく 〔改元理由〕即位による 〔改元年月日〕保安 ほうあん 5年(1124)4月3日天治と改元、天治3年(1126)1月22日大治 だいじ と改む 〔出典〕『易緯 えきい 』の「帝者徳配天地、天子者継天治物」によるという 〔勘申者〕藤原敦光(式部大輔 たいふ ) 〔当代の主要事件〕元年良忍融通念仏 ゆうずうねんぶつ を始める、中宮璋子 しょうし に待賢門院号宣下 2年京都大火 天授 てんじゅ 〔相当西暦年〕1375~1381(南北朝時代) 〔天皇〕【南朝】長慶 ちょうけい 〔改元理由〕山崩れ、地妖 ちよう による 〔改元年月日〕文中 ぶんちゅう 4年(1375)5月27日天授と改元、天授7年(1381)2月10日弘和 こうわ と改む 〔出典〕不明、『史記』巻92淮陰侯列伝に「且陛下所謂天授、非人力也」とある 〔勘申者〕藤原長親(権大納言 ごんだいなごん ) 〔当代の主要事件〕元年幕軍が紀伊国の諸城を破る 5年管領 かんれい 細川頼之 よりゆき 失脚、斯波義将 しばよしまさ 管領となる 6年高麗 こうらい の将軍李成桂 りせいけい 倭寇 わこう を撃退する 天正 てんしょう 〔相当西暦年〕1573~1592(安土桃山時代) 〔天皇〕正親町 おおぎまち 、後陽成 ごようぜい 〔改元理由〕兵革による 〔改元年月日〕元亀 げんき 4年(1573)7月28日天正と改元、天正20年(1592)12月8日文禄 ぶんろく と改む 〔出典〕『文選 もんぜん 』巻2藉田賦の「君以下為基、民以食為天、正其末者端其本、善其後者慎其先」、『老子』第45章の「清静者為天下正」による 〔勘申者〕菅原長雅(式部大輔 たいふ ) 〔当代の主要事件〕4年織田信長安土 あづち 城を築く 10年本能寺の変、信長・信忠 のぶただ 自殺、太閤 たいこう 検地始まる 13年豊臣 とよとみ 秀吉関白となる 16年刀狩令 19年朝鮮征討発令 20年文禄 ぶんろく の役 天承 てんしょう/てんじょう 〔相当西暦年〕1131~1132(平安時代) 〔天皇〕崇徳 すとく 〔改元理由〕炎旱 えんかん 、天変による 〔改元年月日〕大治 だいじ 6年(1131)1月29日天承と改元、天承2年(1132)8月11日長承 ちょうしょう と改む 〔出典〕『漢書 かんじょ 』巻81匡衡 きょうこう 伝の「聖王之自為、動静周旋、奉天承親、臨朝享臣、物有節文、以章人倫」による 〔勘申者〕藤原敦光(式部大輔 たいふ ) 〔当代の主要事件〕2年平忠盛 ただもり 得長寿院(千体観音堂)を造進、内昇殿を許される 天長 てんちょう 〔相当西暦年〕824~834(平安時代) 〔天皇〕淳和 じゅんな 、仁明 にんみょう 〔改元理由〕淳和天皇の即位による 〔改元年月日〕弘仁 こうにん 15年(824)1月5日天長と改元、天長11年(834)1月3日承和 じょうわ と改む 〔出典〕『老子』第7章の「天長地久、天地所以能長且久者、以其不自生、故能長生」による 〔勘申者〕都腹赤(文章博士 もんじょうはかせ )、南淵弘貞(右近衛権少将 うこのえごんのしょうしょう )、菅原清公(弾正大弼 だんじょうだいひつ ) 〔当代の主要事件〕元年勘解由使 かげゆし を常設とする 3年上総 かずさ ・常陸 ひたち ・上野 こうずけ を親王任国とする 4年『経国 けいこく 集』成る 5年綜芸種智 しゅげいしゅち 院創立 8年『秘府略』成る 10年『令義解 りょうのぎげ 』成る 天徳 てんとく 〔相当西暦年〕957~961(平安時代) 〔天皇〕村上 むらかみ 〔改元理由〕水旱 すいかん による 〔改元年月日〕天暦 てんりゃく 11年(957)10月27日天徳と改元、天徳5年(961)2月16日応和 おうわ と改む 〔出典〕『易経』乾卦 けんか の「飛龍在天、乃位乎天徳」、『礼記 らいき 』中庸の「苟不固聡明聖知、達天徳者、其孰能知之」による 〔勘申者〕秦具瞻 〔当代の主要事件〕元年菅原文時 すがわらのふみとき 、意見封事三か条を上申 2年乾元 けんげん 大宝鋳造 4年内裏 だいり 焼亡 天和 てんな/てんわ 〔相当西暦年〕1681~1684(江戸時代) 〔天皇〕霊元 れいげん 〔改元理由〕辛酉 しんゆう 革命による 〔改元年月日〕延宝 えんぽう 9年(1681)9月29日天和と改元、天和4年(1684)2月21日貞享 じょうきょう と改む 〔出典〕『後漢書 ごかんじょ 』巻7桓帝紀の「天人協和、万国咸寧」による 〔勘申者〕菅原在庸(文章博士 もんじょうはかせ ) 〔当代の主要事件〕2年各種商品を買占め貯蔵して物価騰貴させることを禁ず、忠孝を奨励、江戸大火 3年長崎輸出入禁制品を定める、庶民に衣服制限令を出す 天仁 てんにん 〔相当西暦年〕1108~1110(平安時代) 〔天皇〕鳥羽 とば 〔改元理由〕即位による 〔改元年月日〕嘉承 かしょう 3年(1108)8月3日天仁と改元、天仁3年(1110)7月13日天永 てんえい と改む 〔出典〕『文選 もんぜん 』巻6の「統天仁風遐揚」による 〔勘申者〕大江匡房(大宰権帥 だざいのごんのそち )、菅原在良(文章博士 もんじょうはかせ ) 〔当代の主要事件〕元年新立荘園 しょうえん 停止 2年源為義 ためよし に命じて源義綱 よしつな を追捕 ついぶ 天平 てんぴょう/てんびょう 〔相当西暦年〕729~749(奈良時代) 〔天皇〕聖武 しょうむ 〔改元理由〕左京職が背に「天王貴平知百年」と文のある亀を献上した瑞祥 ずいしょう による 〔改元年月日〕神亀 じんき 6年(729)8月5日天平と改元、天平21年(749)4月14日天平感宝 かんぽう と改む 〔出典〕不明、『易経』篆 たん 下伝に「聖人感人心而天下和平」、『礼記 らいき 』大学に「国治而后天下平」とある 〔勘申者〕不明 〔当代の主要事件〕6年官稲の出挙 すいこ を定める 7年吉備真備 きびのまきび 、玄 げんぼう ら帰朝 12年藤原広嗣 ひろつぐ の乱 13年国分寺建立の詔 15年墾田永年私財法を公布 19年東大寺大仏鋳造始まる 天平感宝 てんぴょうかんぽう/てんびょうかんぽう 〔相当西暦年〕749(奈良時代) 〔天皇〕聖武 しょうむ 、孝謙 こうけん 〔改元理由〕陸奥 むつ 国から黄金を献上された瑞祥 ずいしょう による 〔改元年月日〕天平21年(749)4月14日天平感宝と改元、同年7月2日天平勝宝 しょうほう と改む 〔出典〕不明 〔勘申者〕不明 〔当代の主要事件〕元年大安寺以下の諸大寺に墾田を施入 天平勝宝 てんぴょうしょうほう/てんびょうしょうほう 〔相当西暦年〕749~757(奈良時代) 〔天皇〕孝謙 こうけん 〔改元理由〕即位による 〔改元年月日〕天平感宝 かんぽう 元年(749)7月2日天平勝宝と改元、天平勝宝9年(757)8月18日天平宝字 ほうじ と改む 〔出典〕不明 〔勘申者〕不明 〔当代の主要事件〕3年『懐風藻 かいふうそう 』成る 4年東大寺大仏開眼 かいげん 6年東大寺戒壇院創立 9年養老律令 ようろうりつりょう 施行、橘奈良麻呂 たちばなのならまろ の変 天平神護 てんぴょうじんご/てんびょうじんご 〔相当西暦年〕765~767(奈良時代) 〔天皇〕称徳 しょうとく 〔改元理由〕即位による 〔改元年月日〕天平宝字 ほうじ 9年(765)1月7日天平神護と改元、天平神護3年(767)8月16日神護景雲 けいうん と改む 〔出典〕不明 〔勘申者〕不明 〔当代の主要事件〕元年新墾田私有の禁、道鏡を太政 だいじょう 大臣禅師とする 2年道鏡を法王とする 天平宝字 てんぴょうほうじ/てんびょうほうじ 〔相当西暦年〕757~765(奈良時代) 〔天皇〕孝謙 こうけん 、淳仁 じゅんにん 、称徳 しょうとく 〔改元理由〕宮中と駿河 するが 国で瑞字 ずいじ を生じた祥瑞 しょうずい による 〔改元年月日〕天平勝宝 しょうほう 9年(757)8月18日天平宝字と改元、天平宝字9年(765)1月7日天平神護 じんご と改む 〔出典〕不明 〔勘申者〕不明 〔当代の主要事件〕2年藤原仲麻呂 なかまろ に恵美押勝 えみのおしかつ の姓名を与え、官名を唐風に改める 3年唐招提 とうしょうだい 寺建立 8年藤原仲麻呂の乱、道鏡を大臣禅師とする 天福 てんぷく/てんふく 〔相当西暦年〕1233~1234(鎌倉時代) 〔天皇〕四条 しじょう 〔改元理由〕即位による 〔改元年月日〕貞永 じょうえい 2年(1233)4月15日天福と改元、天福2年(1234)11月5日文暦 ぶんりゃく と改む 〔出典〕『書経』の「政善天福之」によるという 〔勘申者〕菅原為長(式部大輔 たいふ ) 〔当代の主要事件〕2年宣旨 せんじ で専修 せんじゅ 念仏宗を禁圧 天文 てんぶん/てんもん 〔相当西暦年〕1532~1555(室町時代) 〔天皇〕後奈良 ごなら 〔改元理由〕兵革による 〔改元年月日〕享禄 きょうろく 5年(1532)7月29日天文と改元、天文24年(1555)10月23日弘治 こうじ と改む 〔出典〕『書経』舜 しゅん 典の「以斉七政」の注「舜察天文、斉七政」による 〔勘申者〕菅原長雅(文章博士 もんじょうはかせ ) 〔当代の主要事件〕5年伊達稙宗 だてたねむね 「塵芥 じんかい 集」を制定、天文法華 ほっけ の乱 12年鉄砲伝来 18年ザビエル鹿児島にキリスト教を伝える 22年今川義元 よしもと 「仮名 かな 目録追加」を制定 24年織田信長清洲 きよす 城に進出 天保 てんぽう/てんほう 〔相当西暦年〕1830~1844(江戸時代) 〔天皇〕仁孝 にんこう 〔改元理由〕地震など災異による 〔改元年月日〕文政 ぶんせい 13年(1830)12月10日天保と改元、天保15年(1844)12月2日弘化 こうか と改む 〔出典〕『書経』仲 之誥 ちゅうきのこう の「欽崇天道、永保天命」による 〔勘申者〕菅原為顕(式部大輔 たいふ ) 〔当代の主要事件〕4年飢饉 ききん 激化し各地に打毀 うちこわし 起こる 8年大塩平八郎の乱、モリソン号事件、奥羽地方飢饉 10年蛮社の獄 12年幕府の天保の改革始まる 14年人返し令 天明 てんめい 〔相当西暦年〕1781~1789(江戸時代) 〔天皇〕光格 こうかく 〔改元理由〕即位による 〔改元年月日〕安永 あんえい 10年(1781)4月2日天明と改元、天明9年(1789)1月25日寛政 かんせい と改む 〔出典〕『書経』太甲上の「先王顧 天明命」による 〔勘申者〕菅原為俊(式部大輔 たいふ ) 〔当代の主要事件〕3年諸国飢饉 ききん (天明大飢饉、~7年) 7年徳川家斉 いえなり 将軍となる、米価騰貴、大坂で打毀 うちこわし 、近隣諸国騒擾 そうじょう 、江戸打毀、松平定信 さだのぶ 老中となり寛政 かんせい の改革始まる 天養 てんよう 〔相当西暦年〕1144~1145(平安時代) 〔天皇〕近衛 このえ 〔改元理由〕甲子 かっし 革令による 〔改元年月日〕康治 こうじ 3年(1144)2月23日天養と改元、天養2年(1145)7月22日久安 きゅうあん と改む 〔出典〕『後漢書 ごかんじょ 』巻60郎 ろうがい 伝の「此天之意也、人之慶也、仁之本也、倹之要也、焉有応天養人、為仁為倹、而不降福者乎」による 〔勘申者〕藤原茂明(文章博士 もんじょうはかせ ) 〔当代の主要事件〕元年東大寺と伊賀国衙 こくが との黒田荘 しょう 係争につき院庁下文が出され東大寺敗北 2年藤原忠実 ただざね 秘記を子頼長 よりなが に譲る 天暦 てんりゃく 〔相当西暦年〕947~957(平安時代) 〔天皇〕村上 むらかみ 〔改元理由〕即位による 〔改元年月日〕天慶 てんぎょう 10年(947)4月22日天暦と改元、天暦11年(957)10月27日天徳 てんとく と改む 〔出典〕不明、『論語』堯曰二十に「天之暦数、在爾躬」、『史記』『魏書 ぎしょ 』にも「天暦」とある 〔勘申者〕大江朝綱(左中弁 さちゅうべん ) 〔当代の主要事件〕元年倹約令、物価引下げ令、北野社創建 5年撰和歌所を置き『後撰和歌集』をつくる 8年私兵を禁止 天禄 てんろく 〔相当西暦年〕970~973(平安時代) 〔天皇〕円融 えんゆう 〔改元理由〕即位による 〔改元年月日〕安和 あんな 3年(970)3月25日天禄と改元、天禄4年(973)12月20日天延 てんえん と改む 〔出典〕『書経』大禹謨 たいうぼ に「慎乃有位、敬修其可願、四海困窮天禄永終」とある 〔勘申者〕不明 〔当代の主要事件〕元年祇園会 ぎおんえ 定例となる 3年藤原兼通 かねみち 関白内大臣となる 4年大和 やまと 薬師寺焼亡 徳治 とくじ 〔相当西暦年〕1306~1308(鎌倉時代) 〔天皇〕後二条 ごにじょう 、花園 はなぞの 〔改元理由〕天変による 〔改元年月日〕嘉元 かげん 4年(1306)12月14日徳治と改元、徳治3年(1308)10月9日延慶 えんけい と改む 〔出典〕『書経』皋陶謨 こうようぼ の注疏 ちゅうそ の「俊徳治能之士並在官」、『左伝』巻7僖公 きこう 33年の「能敬必有徳、徳以治民」による 〔勘申者〕菅原在嗣(前参議)、藤原淳範(前文章博士 もんじょうはかせ ) 〔当代の主要事件〕3年将軍久明 ひさあき 親王を廃す、守邦 もりくに 親王将軍となる 〔な行〕 仁安 にんあん 〔相当西暦年〕1166~1169(平安時代) 〔天皇〕六条 ろくじょう 、高倉 たかくら 〔改元理由〕六条天皇の即位による 〔改元年月日〕永万 えいまん 2年(1166)8月27日仁安と改元、仁安4年(1169)4月8日嘉応 かおう と改む 〔出典〕『毛詩 もうし 正義』の「行寛仁安静之政、以定天下、得至於太平」による 〔勘申者〕藤原成光(文章博士 もんじょうはかせ ) 〔当代の主要事件〕元年平清盛 きよもり 内大臣となる、源頼政 よりまさ に内昇殿を許す 2年清盛太政 だいじょう 大臣となる 3年清盛出家、栄西 えいさい ・重源 ちょうげん 宋 そう から帰国 仁治 にんじ 〔相当西暦年〕1240~1243(鎌倉時代) 〔天皇〕四条 しじょう 、後嵯峨 ごさが 〔改元理由〕彗星 すいせい 、地震、炎旱 えんかん による 〔改元年月日〕延応 えんおう 2年(1240)7月16日仁治と改元、仁治4年(1243)2月26日寛元 かんげん と改む 〔出典〕『尚書正義』の「人君以仁治天下」によるという。 かわいいかおを つかって かいわを たのしんでください。

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